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ともに舟に乗る。

「誰かと生きていくことは、ともに舟に乗ることで、ともに舟に乗ることは、ともに揺れることだ。」

きのう、夜遅くに友人とおしゃべりをしていて、そんなことを思った。

揺れるのは、波立つからだ。舟の場合、海が、人の場合は、心が波立っている。人は一見「あなた」と「わたし」というように隔たって見えるけれど、実際はおなじ海の上にいて、あなたが揺れれば、わたしも揺れる。あなたが嵐の中を進むときには、わたしだって無傷ではいられない。

僕たち夫婦の結婚生活はまさしくそのようなもので、どちらかが好調でも、一方が不調だとうまく進めない。時にはお互いの足を引っ張り合ってしまうことも、舟がそっくり返って転覆することもある。

そんなふうに揺れるのがいやだから、奥さんに「なんとかしろよ」と怒ったり、あれこれ口出ししたりすることも多いけれど、そもそも僕たちは海の上にいるのだから揺れるのは当たり前だと思うと、納得がいった。

友人はある漁師さんから聞いた「船酔いは気合いでは治らない」という言葉を教えてくれた。

人は新たな海域に進むとき、期待と不安が交差して波立つ。たくさん波が立てば、たくさん揺れる。舟が揺れれば、船酔いもする。

その船酔いは気合いでは治らない。でも、どんな船乗りも次第に揺れにからだが調和し、船酔いしなくなる。それまでは気分が悪くてもやり過ごすしかない。人生が変わるときには、そういう過渡期がある。

そして、僕たちがどんなに揺れても、いつだって舟は海に支えられている。「安心」というと、がっちりとした地面に錨を下ろして固定するイメージを持ちがちだけれど、海はゆらゆらと揺れながらもしっかり舟を支えている。僕らが母胎の中にいた頃そうであったように、ゆらゆらと支えられている状態のほうが本当の安心かもしれない。

屋根、壁、塀のある家に住むようになって、雨風をしのげる暮らしを長く続けているから感じにくくなったのかもしれないけれど、本当は人間もゆらめく海の上にいる。海の動きに合わせて揺れながら、彼方のどこかに向かって流されている。

人とともに暮らすことは、ともに舟に乗ることで、ともに揺れること。揺れるのがいやだったら、他者とはいられない。それに揺れてはしまうけれど、人とともに暮らすことにはそれ以上のよさがある。同じ景色をみて「きれいだね」と言えたりするし、ごはんだっていっしょに食べる方がおいしい。

だからやっぱり航海は一人より誰かといっしょの方がいいと僕は思う
それぞれに訪れる高波も、いっしょに耐えていると、すこしはらくになるしね。

夜中に友人としゃべりながら、そんなことを思った。
「独りが好き」って言ってたのにこうも変わるものかと過去の自分がつっこみそうだな。

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