ある夏の日のスケッチ

ある夏の日のスケッチ

叔父の葬儀に参列した。
とても暑い日だった。

叔父は三兄弟の末っ子で、コミュニケーションに難があった。
いまで言う発達障害だったのかもしれないが、わが家では「変わり者」として遠ざけられていた。

だから、ぼくと叔父との関わりは、ほとんどない。
唯一覚えているのは小学生の頃、誕生日に「日本語大辞典」という分厚い辞書をもらったこと。当時ゲームにハマっていたぼくは「なんでこんなもんをプレゼントするんだ」と腹を立て、そのことが叔父を憤慨させたらしい。

父は三兄弟の長男で、父と次男はサラリーマンとして社会に適応した。
叔父だけはそれができず、長年、祖父母の悩みの種となった。
父が「アイツはだめだ」と嘆くのを何度となく聞いた。

その祖父母も亡くなって、最後は地縁も血縁もない四国に行き、タクシードライバーをしたりしながら生計を立てていた。そして、肺を患って今年の七夕に亡くなったという。

亡くなった日は、ちょうど西日本豪雨の影響で交通機関が麻痺し、四国に向かった父と次男は看取ることも遺体を引き取ることもできなかったという。

それが、ぼくの知る叔父についてのすべてだ。

葬儀には、父、母、次男のご夫婦と二人の息子さんの家族、そして、ぼくと妹の家族が参列した。

妹の四人の娘を含め、みんなに子どもがいて、彼女たちがそこらじゅうを走りまわるものだから、笑い声が絶えない会となった。

そこには普通に社会に適応した人たちの、普通の時間が流れていた。

ぼくは時々、叔父と自分を重ねて不安になることがあった。
叔父のようになってはならないと思ったし、父が「変わり者」のぼくを叔父と重ねて、心配そうに語るのがとても嫌だった。結婚したときには「これで叔父とは違う」と安堵した。

けれど、結婚しようがしまいが、ぼくがこの親戚一同において「変わり者」であることに変わりがなかった。
唯一、子どもがいないというだけでなく、ここにいる誰にも理解できないような「普通じゃない」生き方をしている、という意味で。

だから、葬儀の間、どこにも居場所がない感じがした。
挨拶をかわしたり、談笑したりしていても、いつも引け目があって、自分がいないような感じがした。

家族から煙たがられ、おそらく友達も少なかった叔父の一生は、もっと孤独で過酷だったのだと思う。そして、ぼくの知る限り、幼い頃からずっと状況は改善されることなく、叔父は亡くなった。

人生にいいことと悪いことが半々であるのだとしたら、あまりにも割に合わない人生だったように思える。

ぼくが血の繋がった人の死に立ち会うのは、これで三人目。
前は、叔父のことで頭を悩ませていた祖父母の死だった。

ぼくはそのとき、映画のようなハッピーエンドで人生が終わるわけではないことを知った。内的に何が起きていたかはわからないけれど、祖父母は祖父母であるがゆえの厄介さを引きずって、苦しそうに死んでいった。

なんにも解決なんかしないし、なんにも崇高になんかならない。
祖父母は祖父母のままだったし、叔父も叔父のままだった。

そして「変わり者」の自分の身の上を思う。
ぼくはぼくであることの厄介さから、逃れることはできないのかもしれない。

そんなことを一つも話さないまま、子どもたちと笑って遊んで、集合写真を撮って、葬儀は終わった。

叔父は、いったいどんな気持ちでそれを見ていたのだろう。
関わりの薄かったぼくには、まるで分からない。

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