fighter(s)
ぼくたちと同じときに同じ場所で出会い、結婚した友人夫婦に再会した。
ぼくらは結婚三年目、彼らは式を挙げたばかり。「結婚」という関係になったときに、それまでとどれほど変わったかという苦労話を「うちもそうだった」と深くうなずきながら聞いた。
友は、これからはじめようとしている仕事の話も聞かせてくれた。
想像もしなかった方向に歩みを進めようとしていることに驚き、また楽しみに感じた。
期間をあけて友達と会うことの喜びは、こういう話を聞けることにある。
話の端々から、彼らのそれまでの奮闘が伝わってくるように思えた。
人は自分で思うよりも大きく変わっているものだ。
そして、そこには他者には計り知れない格闘の歴史がある。
児童館に通う子供たちもそうだ。
ある子はずっと不登校で中卒のまま就職しようとしていたが、通信制の高校に進路を変えた。ある子は苛立ちを暴力で発散することを繰り返していたが、自制できるようになってきた。
それは小さな変化かもしれない。けれど、人生としては明らかに前進しているように思えた。
そうは言っても、僕は時々、人や自分の足りないところばかり見てしまうことがある。このままで大丈夫だろうかと心配になることもある。
けれど、いまなにかに満たないからといって、彼らの人生における小さな勝利が無になることはない。
自分について言えば、まもなく年が終わるけれど、目指すところには届いていない。なっていたい状態にもなっていない。それはやっぱり悔しい。
けれど、ふがいないと腐らずにいられているのは、そこでの奮闘を知っているからだ。そして、そのことによって新たに見つけた資質やニーズ、人間関係が残っているからでもある。
それは目立たない、ニュースにもならないようなことだ。
でも、たしかな前進でもある。
努力した自分の姿勢に、他者の温かい声に、励まされながらファイターはまた先へと進んでいく。
別れ際、友は「歌やりなよ」と言って僕をハグした。
「お前も踊れよ」と僕は返した。
それはたぶん、ぼくたちが一番やりたくて、一番こわがっていることだった。自分がどうにかなってしまいそうなくらい、弱くなりそうなこと。
それをいまこうして書いているのは、ある意味では退路を断つためだし、ある意味では感謝の気持ちを残しておきたかったから。
友の呼びかけに「おう」と僕は応えた。
そのことをここにきちんと書いておくことで、なにかいいことが起きるきっかけにしたいと思っている。
君にとってもそうだったらうれしい。
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