見出し画像

「うちの奥さん」みたいなひとに。

 人からはそう見えないみたいなんですが、ぼくは自分のしていることにあまり自信がなくて、いろんなひとの影響を受けて生きています。主体性がない、といったらいいのか。

 去年の6月に40歳になって、さすがに自立して自信もつくかと思ったけれど、そう変わっていない。歳を重ねれば人間味が増すというのもぼくには通用しないみたいで、しょうがないかと思い始めてきたこの頃。

 最近、名古屋市内の児童館に勤めているのですが、そこでも自分よりも年若い小学生、中学生、高校生たちとかかわる時にかなりドキドキします。なんでなのか、そこで起きる未知の反応に身構えてしまうんです。(どうやら悟られてはいないようなのですが、もしかしたら知らんぷりしてくれているのかな。)

 さて、そんなぼくが関わる「魂うた®」ですが、ぼく自身はなにより一人の参加者として「魂うた」の体験が好きで、「魂うた」の場で歌う気持ちよさを気に入っていたファンでした。

 それが主催者である本郷綜海さんの「ファシリテーター、養成するよ」の呼びかけに応えて、14名の仲間と寝食をともにして学び、その後、100名を超えるひとたちと歌声と経験を共にしてきました。

 一年ほどブランクがあって、今回の開催は個人的に「第二期」のスタートだと思っています。

 第一期は「魂」という看板を掲げていることに居心地の悪さがあったし、ファシリテーターって柄でもないなと思っていたけれど、このあたりは多少すっきりしてきました。

 それをどう呼ぶかはともかくとして、ぼくたちが意識的に/無意識に狭いところに閉じ込めている自分の性質。それがなんらかの形で表現されて外気にふれたとき、「あなたってそんなひとだったんだね(!)」と驚くような魅力、才能、エネルギーが周りにはっきりと認識されます。

 その閉じ込めていた性質、現象に触れて、なんだかすっきりした顔のひとを見るのは、とてもたのしいし、時には涙がでることもあります。

<「こんなもんだ」と思っていた自分をこえて、総動員で冒険しよう。>

 そんなスローガンを叫びたい気がするくらい、高揚してしまいます。

 今回「魂うた」を受けてほしい人は、はっきりしているんです。
 それは「うちの奥さん」みたいなひと。

 本人もときどき綴っていますが、うちの奥さんは自分の内にある「自分を否定する反応」に苦しむことがあります。進みたい方向、願いや夢はあるのに、それとは真逆に引っ張られて、怒り、嘆き、落ち込む。

 自分で鎮められることもあるけれど、暴発することも少なくなくて、そんな彼女と関わっていると、そのエネルギーの大きさに驚くと同時に「魂うたすればいいのに」と思うことがけっこうあります。

 でも、うちはマンション暮らしでなかなか飛んだり跳ねたり大声で歌ったりはできません。エネルギーを発散しようにも、環境がそれを許さない。

 そんなことになっているのは彼女だけかと思っていたのですが、どうやらそうでもなくて、ぼくの周りにはそんな反応とともにいて「先に進みたい」ともがいている人たちが現れます。他者は自分の鏡といいますから、ぼく自身もその一人なのかもしれません。

 そんなぼくや奥さんや縁のあるひとたちが集まって、古代の儀式をするように一人では手に負えないエネルギーを鎮めていく。「魂うた」はそんな場として機能すると思います。

 そして、より身軽になって、反応に遮られて見えなかった私たちの本質にふれて、その後の人生をいきいきと進んでいくことができる。そんなお手伝いができたらと思っています。

 おそらくドキドキしながら、それと悟られないようにしながら、来てくださった方をお迎えすることになろうかと思います。楽しみなような、こわいような。子どもたちに向き合うのと同じです。

 それで、奥さんにもいっしょにいてもらうことにしました。彼女はヨガをしていて体のことに詳しいし、なにより佇まいがいいので百人力です。

 どうぞ、お越しください :-)

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)