抱きしめられたいな

抱きしめられたい。

こないだ観た映画『プリズン・サークル』の中で、受刑者の方の一人が「抱きしめられたい」と言っていた。

他の受刑者と三人で輪になって自分のことを話していたときのことだ。

「言うの恥ずかしいんですけど、抱きしめられたいって思うんですよね。こう、ぎゅーってされたい」

正確にはおぼえていないけれど、そんな感じのことを言っていたように思う。

この映画については、すでに何本か記事を書いたけれど

余韻が薄れ、最後の最後に残ったのがこの言葉だった。

僕らは大人になると人と距離をとることをおぼえる。そして、抱きしめたり、抱きしめられたりすることが減っていく。僕も結婚するまではそうで、付き合っている人のいないときには、人に触れることさえなかった。

そんな頃、生まれたばかりの姪っこを抱っこしたりすることがあると、ぽわぁんと温もりが伝わってきて驚いたことがあった。あとはあまりなついてくれなかったけれど、飼い猫をなでたときとか。言葉がなくても、人や動物はこんなにもなにかを発しているのだと知った。

フリーマムハグ

これは「Free mom hugs」というページにある写真。

人が一日のうちにハグを切望する頻度 13回
通常のハグがつづく長さ 9.5秒
医療的な癒しの効果を得るために必要なハグの長さ 20秒

とある。

ほんとかどうかわからないけれど、人は大人になったって、誰だって「抱きしめられたい」んだと思う。

そして、抱きしめられることでなにかが変わるのだと思う。

たしかに人と人とのあいだに距離は必要だ。
急に距離を詰めたらこわがられてしまう。

でも、人は誰だって「抱きしめられたい」。
そんな人と人同士が、どうしたら抱き合えるのか。

あんまり意識したつもりはないけれど、人に会うことが感染することと同義のように語られつつある今日、そんなことを考えている。

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