定例会

とてもよく感じる人たちの定例会。

「とてもよく感じる人たち」がいる。

考えるよりも先に感じてしまうような人たち。
うちの奥さんもそうだと思うし、『魂うた®️』のような見えないものを扱う仕事をしていると、そういう人たちに出会う機会が増える。

そのほとんどは女性だ。
彼女たちは身体かどこかのアンテナを使って、いろんなことを察知する。場の空気を感じたり、理屈を飛び超えて本質的なことを理解してしまったりもする。

僕はそういう人たちといるのが好きだ。話していてとても楽しいし、聞いていて不思議だし、ときどきうらやましい。

先日、結婚式のあとにお茶しに行ったメンバーは、まさにそんな人たちで、こんなことを話していた。

「先週からずっと体調が悪くて、寝ても途中で起きてしまうんだけど、みんなはどう?」

「あ、私も」

「わたしもそうだ」

それは「お互いに同じものを感じている」という了解がなければ、成り立たない会話だった。でも、みんなそれを自然に受け入れている。

月のせいなのか、天候のせいなのか、気圧のせいなのか、それは分からない。とにかく、なんらかの原因があって、そこにいるメンバーに共通して体調不良や寝付きの悪さが起きているのではないか。そんな話がなされていた。

これだけ気象が変化している昨今だ。そういうことがあってもおかしくないな、と思いながら、彼女たちの話を聞いていた。

もちろん、個人的に起きていることがたまたま重なっただけかもしれない。でも、集合的に起きていることを彼女たちが先に察知しているということが、あってもおかしくない。

「炭鉱のカナリア」という言葉がある。

炭鉱のカナリアは、何らかの危険が迫っていることを知らせてくれる前兆をいいます。 これは、有毒ガスが発生した場合、人間よりも先にカナリアが察知して鳴き声(さえずり)が止むことから、その昔、炭鉱労働者がカナリアを籠にいれて坑道に入ったことに由来するものです。
(iFinance 金融情報サイトより引用)

とてもよく感じる人たちは、いわば炭鉱のカナリアとして、なにかを感じているのかもしれない。

でも、その知覚は他の人には感じにくい(感じてはいても自覚されない)ものなので、

「なにを言っているんだろう」
「不思議な人だ」
「スピリチュアルだね」

などとカテゴライズされ、遠ざけられてしまうのかもしれない。

「通じる」人たちといるとき、人はいきいきとする。
その日、とてもよく感じる人たちは「他では話せないんだけど」と言いながら、嬉々として近況を語り合っていた。

彼女たちの感じることは言葉よりずっと大きいので、なかなか説明しづらくて「ああ、わかる」という反応があると、とてもらくなのだ。

僕はぜひ定例会を開くべきだと思った。
そうでなければ、個人の中に埋もれてしまう実感があると思った。

とてもよく感じる人たちは、僕の知らないところにもたくさんいるのだと思う。たった一人で「わたしは、へんなのかな」と思っている人もいるかもしれない。

でも、感じているもの自体は、たぶん存在するのだ。自覚がないだけで。

かく言う僕も、とてもよく感じる奥さんのおかげで、だいぶいろんなことを感じられるようになってきた。それは実に楽しい発見の日々だ。

とはいえ、僕自身は、先週ぐっすり寝た。
とてもよく感じる人たちへの道のりは、まだまだ長いらしい。

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