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空気をともにしている。

今日は14時から『空中庭園』というオンラインの場をひらいた。

通常は会って行う円坐を、オンラインでやったらどうなるかという試み。
マニアックな企画にもかかわらず、今回も4人が参加してくれた。

あらかじめ何を話すか決めておらず、何を話しても、話さなくてもいいので毎回内容はがらりと変わる。今回は会って話す場合とZOOMなどのビデオ通話、音声だけの通話の違いについて語られることが多かった。

その中である人が語った「会っている時には空気をともにしている」という言葉が印象に残っている。

会って話すとき、人は空気をともにする。時にそれはピリピリしていたり緊張や圧迫感があったりする。「そこにいざるを得なくなる」感じにもなって不自由な感じもする。

一方、音声でのやり取りにはそれがない。だから自由な感じもするけれど、参加しないと「向こう岸でなにかしている」遠さも感じてしまう。

個人的に「オンラインではガチで言葉をぶつけ合うようなことがしづらいかも」と感じていたのだけれど、それも空気がないからかもしれない、と思った。

空気があるから、そのピリピリなり緊張なり圧迫感をともにしているから、それを伝って言葉をぶつけることができる。

ちょうど別の人が糸電話の話をしていたけれど、あんな感じでビリビリとした振動を感じて伝いながら、人と人とはやり取りしている生き物なのかもしれない。

コロナ禍で直接人に会いにくくなって以来、僕はビデオではなく音声通話を好んで場をひらいている。ストレスが少ないからそうしていたのだけれど、もしかしたら声に耳を傾けるときに糸電話みたいな感じがするからなのかもしれない。「この場は円坐ではなく線坐だ」と言った人もいたけれど、細い細い線でもビデオよりはぬくもりが伝わってくる気がして。

そうそう、ある人は「離れているのにぬくもりや光が伝わってくる」って言っていたっけ。その言葉を聞いたとき、なんかすごくきれいだなと思ったのをいま思い出している。

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