ぼくらのうた

生きている「ぼくら」のうた

童謡「手のひらを太陽に」は、アンパンマンのやなせたかしさんの作詞で、こんなふうにはじまる。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ

このあと二番、三番では「生きているから」の後に「笑うんだ」「うれしいんだ」「おどるんだ」「愛するんだ」と続く。

なぜ最初が「歌う」で、その次が「かなしい」だったのだろう。

「うれしい」が先でもよかったのではないか。

作者は故人だから尋ねることはできないし、直感や霊感をつかって作詞をする人もいるので「なんとなく」なのかもしれない。

でも歌うことがなにより最初で、うれしいよりもかなしいが先というこの順番、いまのぼくにはうなずける気がした。

生きているから、かなしいんだ。
だからぼくらは、歌うんだ。

笑うことも、うれしいことも、おどることも、愛することも、まずは「かなしい」と歌うことからはじまる。

そんなふうに思って、7月15日(日曜日)の歌のワークショップの名前を「ぼくらのうた」に変えた。

ぼくらは、生きているからかなしい。
でも、いつでもどこでもそれを表現できるわけじゃない。

聞いてくれる相手がいなかったり、そもそも言葉にできることじゃなかったり。

だから、いつもは心の奥にしまってあるのだけれど、やっぱりかなしい。

そんなうまく言えないかなしみを、歌にのせて、声に出して、目いっぱい叫べる場がほしい。

それを聞いてくれる人がほしい。

そう思った。

音程やリズムを気にした、きれいな歌なんか聴きたくない。
人にどう見られるかを気にした、置きにいく歌なんか聴きたくない。

そんなの、どうでもいい。
もっとぐちゃぐちゃでいい。ぐちゃぐちゃになりたい。

そして、ぐちゃぐちゃに生きているぼくとあなたが出合う。

「お前もどうしょうもないな」と笑いあいながら、お互いはやさしさでつながっている。

そんな場で、時をすごしたいと思った。

この場でのぼくの役割は、参加してくれた人と歌とを仲人のように引き合わせること、になると思う。

この歌をもってきて、アンタはなにが言いたいんだ?

なにを聴いてほしいんだ?

それを全身全霊で尋ねて、歌と人との合流地点まで伴走する。

でも、そんなことは全体の体験のごく一部で、ほんとうに大事なのは「歌いたい人」と「聞いてくれる人」がこの日、この時間に集うことにある。

その人たちの思いに沿いながら、心の底から歌い、心の底から聴く。

それを繰り返していって、みんなと

みんなみんな 生きているんだ
友だちなんだ

というところまで行ってみたい。

この「みんなみんな生きているんだ」は、幼い頃に無防備に歌っていたのとは違う、もっとかなしみを伴った感覚なんだと思う。

そのかなしみを抱えた者同士が集まって、十分に気持ちに触れ、周りにいるみんなも同じようにかなしみを抱える「友だちなんだ」と気づくことは、人の力になるのではないかと思う。

いま、ぼくがしたいのは、人生を変えるとかそういうことよりも「ぐちゃぐちゃだ」という人同士が、お互いにかなしみあいながら、やさしさでつながり合う実感を取り戻すことなのだった。

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