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なぜ人は「歌いたい」などと思うのだろうか。 【メルマガ『生きているQ』より】

この記事は、㐧二音楽室のメルマガ『生きているQ』の配信記事を加筆修正してお届けしています。(配信登録はこちらからどうぞ。)

こんばんは。澤です。

聴いてくださり、
ありがとうございます。

久しぶりにこの仕事に
依頼をいただきました。

「歌いたい」人の
「歌いたい」気持ちに
応えていくこのお仕事。

楽しみだなあと思いつつ、
改めて
「歌いたい」気持ちについて
考えてみました。

僕は「歌いたい」という
気持ちの中には
唄う行為にとどまらない
切実なものがある、
と感じています。

たとえば、それは

「呼吸がしたい」

ということだったりします。

おおきく息を吸って、
自分の内側にあるものを
思いっきり吐き出してみたい。

そのことで空いたスペースに
新鮮な空気を入れてみたい。

あるいは、それは

「もっと深くで出会いたい」

ということかもしれません。

日常会話のキャッチボールの中で
1、2、3、4と
わかり合っていくところを跳躍して、
一気に214から出会いたい。

歌にはそんな気持ちを
託すこともできます。

時に、それは

「人を導きたい」

ということでも
あるかもしれません。

自分の声で、言葉で
まわりの人たちを
異世界に連れて行きたい。

歌にはそんな力もあります。

そして、
唄うことにしばしば
こわさがつきまとうのは
なぜだろうかと考えます。

過去に傷つけられたから?

そもそも人前で
無防備になるのは
こわいことだから?

でも、そんなこわさをこえて
歌ってみたいことがある。
声にしたいことがある。

『歌い手冥利』において
僕はそんな切実さと
出会うことができます。

そのことがとても嬉しいし、
大事にしたいと思うのです。

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