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私の何が悪く、何が足りないのですか。

と、天の神様に問いたくなる時がある。天の神様じゃなくても、なにかがうまくいかないとき、自分が悪くて、足りないからそうなるのだと思うことは多い。

このとき、根底にあるのは「自分を直せばうまくいく」という信念だ。
しかし、物事はどうもそんなふうにはできていないらしいと、40代になって思う。

あなたは何も悪くないし、足りないところもなにもない。しかしそっちではないという形で、人生が思い通りにいかないことはある。たくさんある。

そんなとき、人は「思い」通りに進まない現実をみて「うまくいかなかった」と考えるが、時間が経ってから振り返ると「思い」がけないところにある喜びに至るターニングポイントだったりする(たとえば、厄年に起きやすい災厄はその一つだと思う)。

自分の「思い」をこえていくことは、こわいことだし、その時には不安だ。
理知的な人ならば、なんだか釈然としない気持ちにさえなるかもしれない。

けれど、人生というのは、人ひとりの「思い」なんかで動いてはいない。
たった一人、孤独に生きていると思っている人でも、そこには見えない力学が常にはたらいている。

天の神様という存在はいるのかわからないが、そういう存在を想定しないと説明できないほど「思い」を外れた出来事は、起きる。たくさん起きる。

人生における「思い」どおりにならないことの多くは、私の欠点のせいではないし、「思い」どおりになることの多くも、私の長所のおかげではない。そんなふうになんでも私に帰着させられるもんでもなく、自分の力の及ばない、わけの分からないあれやこれやがあって、いま、その現実がある。

その理路は、たぶん天の神様にしかわからない。
僕らは、人生全体に無数に張り巡らされている伏線の、ほんの一部をみて、全体を想像するくらいしかできないのだろう。

あなたはぜんぜん悪くないし、なにも足りなくない。
しかしそれでもうまくいかないというとき、きっと「思い」の外でなにかがうまくいっている。

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