眠れる獅子たち

2019年に「男」であるということ。

「男が『男になる』とき」開催三日前。
僕は「男になることは、こんなにもややこしいものか」と考えている。

いま、僕の目には、人間関係に怯える多くの男性の姿が見える。

たとえば、昨年4月に児童館の学習会で、
「これからは自分たちで話し合って決めてね」
と言ったとき、サポーターの大学生たちは硬直した。

その後のミーティングでは、重たい沈黙が流れた。
みんな見合っていた。
お互いが何を言うか、言われるかをうかがうばかりでなにもはじまらない。

そこには、人と関わることへの怯えが現れていた。
しかし、そこからおそるおそるコミュニケーションをとる中で、彼らは活性化していくことになる。

僕自身も30代前半から最近まで、人に対して退いていた。

口火は切らない。相手の出方をうかがって、きっかけをもらってから動く。そうして受け身の姿勢をとり、先に誰かに発言させた方が安全だと考えていた。

そんな危険はなかったのに。

そんなふうにして男が人と関わることに怯え、退いてできたすき間を、いまは女性たちが埋めているような気がする。さらに、女を捨てて男になることで、彼女たちはなにかを守ろうともしている。

当然、男の不甲斐なさへの憤りはある。だから、たまりかねて女たちは「鬼」になる。退くことが身についた男は逃げ出すか、ますます殻に閉じこもる。「鬼」は凶暴化し、人間関係は壊れていく。

だからと言って「男になれ」と強要することも得策ではない。
閉じこもっていても、男にはプライドがある。強くなりたいと思いながらも、人との関わりを恐れている。

そこに家族を養うこと、育児をすること、強くありながら粗暴ではないこと、などといった外部からの要請が加わる。

男はその中で、自分にも叶えられそうな「やさしい人」というキャラクターを選択する。それならば退いていても、受け身でいても「包容力がある」ように見えるからだ。

「ぼくがぼくであってなにが悪い?」とやさしさの中に閉じこもり、人と距離をとることもできる。そうしていると、人からの批判を受けることが格段に減る(ように思える)。

以上は、この僕がとっていた戦略だ。

でも、やさしいふりをして距離をとり、人と関わらないでいると自分の力に気づけない。自分の力とは力こぶを誇示することではなく、人とのあいだに生まれるものだからだ。

僕自身は『魂うた®︎』を経験し、本郷綜海さんのファシリテートや参加者のみんなの反応を通して、歌いながら徐々に自分の力に気づき、人と関わる喜びを取り戻していった。

それはもともと自分のものだったのに、ないことになっていた。
だから、そこには驚きと感動があった。

「やさしさ」の殻の奥にいた「男」の自分は強くて、かつやさしかった。全然、暴力的じゃないし、そうなりたいと思っていた自分だった。

この経験を分かち合いたくて、11月に「男が『男になる』とき」という場をひらいた。

そこでは、他の人の中にも「やさしさ」の殻の奥に強さがあることが確認できた。歌って、吐き出して、力を発揮して、彼らは一様にすかっとしたいい顔になっていった。

「俺たちはこの世界の王者だ!」

と参加者の一人は言った。そのぐらいのでかさでみなぎるものが、男の中にはあった。

僕はいま、他の男性にもこの場を経験して、力を取り戻し、退くのではなく前に出ることによって、人間関係をはじめてもらいたいと思っている。

そこには失敗の痛みもあるけれど、いま怯えているほど長引かないし、不協和音の中で自分を直しながら進むうちに、生命力が戻ってくる手応えがある。人ともつながれて、生きている実感も増す。

映画『シーモアさんの大人のための人生入門』の中で、ピアニストのシーモア・バーンスタイン氏は、何千時間の練習、何億回のミスタッチによって、音楽のもつ「完璧」に触れることができる、と語っているが、人間関係も同じだと思う。

練習がいる。そして、失敗と修正を繰り返すうちに「完璧」に近いなにかに近づける。本来、練習がいることなのに、いきなり完璧にやろうとするからおかしくなるのだ。

2019年に「男」であることは、ややこしいことかもしれない。
「男であれ」と呼びかけることが「自分であること」の否定だと捉えられたりもする。本当はまったく逆なのに。

でも、これは基本的に「勇気」の問題なのだと思う。
発揮できるはずの勇気を、なぜ出さないのか。出せないと思っているのか。

「もっと前に出ろよ」

これはかつて僕が言われ続けたことであり、そしていま、怯える男性を見て僕自身が思うことでもある。

出ても、相手にぶつかることはそれほどない。
そして、運良くぶつかったら、そこからなにかが生まれる。

才能なり魅力なりというのは、そこにしか生まれないのだと僕は思う。
そして人生すら、そこからしかはじまらないのだと思っている。

だから、その勇気が自分の中にあることを確認してもらいたい。

男はつらいよ。
男はすごいよ。

男はもろいよ。
男はつよいよ。

これらは矛盾をはらみながらも両方成立する。
頭で考えるとややこしいが、やってみると実はそんなに難しくない。

ただ「あなた」になる。
そのときに、あなたの「男」が発揮される。
それだけのことだ。

あらゆる怯えやプライドの壁をくぐり抜けて、この言葉が男の人に届くといいなと思っている。

そして、男が「男になる」ことで、女性が「女になる」ことが可能になり、子どもたちや社会が安心感を取り戻すお手伝いができたらと思っている。

王者はいま、あなたの中に眠っているのだから。

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