十月十四日_

兄と妹。

今日は、知多市に住む妹の家に行ってきた。
十月生まれの二人、妹と一番上の姪っ子の誕生会をするためだ。

午前中から出発したので、お昼だけかと思ったら誕生会は夜と聞かされた。
丸一日なにもできないのは少し焦ったが、腹を決めて、姪たちと遊ぶことにした。

妹には、娘が四人いる。
誕生日を迎えた長女が11歳で、一番下は1歳。

どの子も元気いっぱいで騒がしい。家の中につむじ風が吹いているみたいに、一人ひとりよく動くし、主張が強い。ついていくだけで精いっぱいだ。

昼過ぎ、子どもたちが買い物のために全員出ていった後、訪れた静けさに驚いた。しん、として、全く別の家に来た感じがした。ここぞとばかりに昼寝をした。

妹は僕とちがって、人生をわたるのがうまい。
年は三つ下だけれど僕よりも早く結婚して、子宝にも恵まれて、CMに出てきそうな幸せな家庭を築いている。

学生の時分には、僕の方が優等生で「できるお兄ちゃん」、妹は普通の子だった。でも、いまや完全に逆転し、僕は人生において赤点、追試を繰り返している。

不思議とそのことをひがんだり、うらやましく思うことはない。
ずっと前から、全く違う道を歩んでいるとわかっているからだ。

ただ、自分がいま悩ましく思っていること、うまくいかないこと(もっぱら経済的なことだ)が妹の家には存在しないので、そこにいると自分の苦しみはなんなんだろうと思わされる。

たぶん妹は、僕がこれまでの経験で知った多くを知らない。
それどころか、こんなに娘たちがわちゃわちゃしていたら、落ち着いて自分と向き合う時間さえないはずだ。

それでも、こんだけ幸せなんだよなあ。
もちろん日々、いろんな不安なことはあるだろうけれど、でも、何の問題も見当たらない。

そういうとき、自分はなにか決定的な勘違いをしているような気にさせられる。これが大事だと信じていることも、こうして力んで書いたりしていることも、実は特に何の意味もないのかもしれない、と。

人の人生は、そもそも比べられるものではないのかもしれないけれど、同じ親から生まれて、こんなにも違って育っている僕らについて考えるとき、自分がますます分からなくなる。

特別なことなんかなくても、そこそこでいい。
夢も、ほどほどでいい。
ただ、こんなふうに普通に、ほがらかに暮らせたらそれでいいのにな。

そんなささやかな願いが脅かされるほどのことを、僕がしたんだろうか。
いったい僕は、何を勘違いしているのだろうか。

考えてみても、やっぱりよくわからなくて、結局このまま進むしかなくなるのだった。

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