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未来はいまに流れ込んでいる。

友だちが喫茶店を開店するという報を聞いて、喜んでいる。
日にちを限定したお試しオープンらしいが、それでも嬉しい。

僕たち夫婦は、数ヶ月前、彼がカウンターの向こうでコーヒーを淹れたり、食事をつくったりするのを見ていた。その姿はとても様になっていて、もう「マスター」という感じがしたし、そう呼びたくて仕方がなかった(実際呼んだと思う)。

その頃から彼が喫茶店をやる気だったのかは知らない。でもカウンターに入った時の彼と僕らとの距離が、彼の寡黙だけれど雄弁な感じによく合っていると感じた。いままでのどんな時よりも居心地がよかったし、そこから彼に見守られていることで、寛いで食事ができている気がした。

「様になる」とは、つくづく不思議なものだ。
毎週通っているバイト先の障がい児たちの中にもそれは現れる。

たとえば、ギターを抱えた時に妙に似合っている子がいる。別の子は、力まかせに弦を弾いたときに思わぬロック魂を醸し出す。また別の子は、イエーイとポーズを決めたときだけ、なにか伝わってくる。

一方で、ギターは様になっていなくても、本を読んでいる姿が美しい子がいる。数学の問題を解いているときにいつもと違う表情を見せる子がいる。それは一人ひとりまるで違う。

彼らがどんな大人になるかはわからない。けれど「様になるな」と思うとき、そこに未来の彼らが流れ込んでいる感じがする。人生において、なんらかの形で、何度も現れてくる大事な本質。それを僕らは目の当たりにしているのではないか。

もっとも、それは本人には自覚されない。また、ぱっと消えてしまうものでもある。でも、僕がこの文章を書きながらこうして思い出せるように、それを見た他者の中にはありありと残る。

自分のことは案外、他人のほうがよく知っているのかもしれない。自分にとって驚きの未来を他人は当然のように捉えることもよくある。他人の指摘を聞いて、自分のことを教わることも多い。

それは他人がすごいからではなく、頻繁に映る未来の影を自分だけが見られないからかもしれない。でも、そうして自覚できないまま、勘違いしたまま、だんだんだんだん「様になっている」未来に近づいていく過程こそが、美しいのかもしれない。

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