パスタを茹でる

ラクになる生き方。

午後。パスタを茹でるときに、退屈しのぎに妄想することがある。

今日の妄想は、こんな感じだった。
僕が大人代表として、子どもたちに話している。

「我輩はラクに生きたいと思っているし、そう思って生きてきた。できる限り苦労を避けて、楽しく生きていけるよう、あらゆる手を尽くしてきたつもりだ。
 にもかかわらず、苦労につかまってしまった。しかも何度も。つくづく無念だ。
 若い子どもたちよ、苦労せずに生きていく道を切り開くことは、そなたたちに託す。オレのしかばねを超えてゆけ」

もしかしたら、ブッダが「人生は苦だ」と言ったのは、こんなニュアンスだったかもしれないと一瞬思って「なわけねぇか」と思い直した。

それにつけても、誰も彼もが苦労している。
「こういうのがラクですよ」と宣伝している人たちだって、見えないところでは苦労している。「人生は苦だ」というのは「思い通りにならない」という意味だそうだけれど、人生では皆それぞれにバラエティに富んだ苦労を与えられていると言っても過言ではなかろう。

僕の亡くなった祖母は、生前「ラクになりたい」と口ぐせにように言っていた。その「ラクになる」は死ぬという意味で、幼い頃は「そんなこと言わないで」と思ったけれど、いまは「確かになあ」と思わなくもない。そして、死をおそれながら、死がらくになることだと思える人の不思議さよ。

日々しんどいなと思いながらも、それなりに一日一日を突破していく。
そうして溜まった時間が一年になる頃には、町にクリスマスソングが流れ「ああ、今年も一年終わったか」と肩の荷が下りたような気持ちになる。

もしかしたら、人生とは苦労のことで、ラクになる生き方なんてないのかもしれない。お互いに労をねぎらって「おつかれおつかれ」なんて言っている間に、人生ってやつは終わっていくのかもしれない。

そんなふうに思うようになったのは、僕が中年と言える年齢に達したからなんだろうか。でも、普段考えてることはまるで子どもみたいなんだけどな。

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