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"推し"の話

 9月29日、読売ジャイアンツに所属していた田中貴也選手が東北楽天ゴールデンイーグルスに金銭トレードされました。

 育成ドラフトで入ったキャッチャーでして、支配下を勝ち取ったのは2017年の事でしたかね。この同時期に今は巨人の超便利屋になった増田大輝選手も支配下登録されております。

 去年ブレイクを果たした増田選手に比べて、田中選手の巨人での野球人生はそれはそれは地味なものでございました。ほとんどが二軍暮らしでたまに第三捕手要員で一軍に上がる程度。ナゴヤドームでプロ初打席に立ったと思ったら代打の代打で引っ込められてしまうという(笑)わりと不遇な扱いを受けておりました。

 守備が良くて打撃も二軍では打ってる方なのですが巨人は今キャッチャー王国でして、まず代表に何度も選ばれている守備が超一流の小林誠司選手がおりますし、その小林選手を控え捕手に追いやるほどの活躍を見せている大城卓三選手、埼玉西武ライオンズから移籍してきた炭谷銀仁朗選手や若手のホープ岸田行倫選手など、正直田中選手が割って入るのが不可能な層の厚さだったんですよね。

 そんな田中選手ですが、僕は個人的に彼を推してました。

 今回は僕が野球ファン人生の中で推していた選手の話をさせていただこうと思います。

 まず僕は巨人ファンなのですが、現在チームの中に推しが何人かいます。

 以前noteでも書かせていただいた大竹寛投手や若い頃にトレードでやってきて今も巨人にいる立岡宗一郎選手、先程も名前を出させていただいた増田大輝選手は最近推しになりましたし、田中貴也選手も二日前までは巨人の推しの一人でございました。

田中貴也(巨人時代)

 なんで二軍にずっといたキャッチャーを推してるのかと思う方もいらっしゃるでしょうが、彼って面白いんですよ。

 まず声がでかい(笑)打つ時、必ずといっていいほど毎回雄叫びを上げます。それがスタンドにいてもめちゃくちゃ聞こえてくるんですよ。打ち方も体を異様に屈めてそこからバネのように全身を使って振りに行くんで見てると毎回笑っちゃうんですよね(笑)

 と言って変な男でもなく、打席に入る時には必ず審判に一礼します。プレーしている姿を見ても誠実なんですよ。雑にキャッチングしたり逸らしてる姿を見た事ありませんし、キャッチャーらしくちゃんとピッチャーを引っ張っている(そんな彼をマウンドで殴った奴もいましたが…(笑))

 原監督もトレードが発表された際に「チームで1、2を争う努力家」と田中選手を評してましたが、二軍で1試合でも彼を見るとそれがわかります。今年28歳なので普通ならばクビにされてしまうところを、キャッチャーが足りなくなるというリスクを背負ってまで金銭トレードでチャンスをあげたという事はそれだけ彼の努力が評価されていたという証だとも思いますね。

 育成時代ジャイアンツ球場で彼のプレーを見た時、僕は一目惚れしました。かっこ良くはなくスターになれそうもない選手ではありましたが、それでも彼の守備や打撃は惹かれるものがありましたし、見ていて楽しい選手でした。

 今回楽天に移籍できたのはチャンスだと思いますし、どこに行っても応援しております。田中選手、頑張ってください!

 田中選手もですが、僕って多分苦労人っぽい人とか泥臭い選手とか、そういうのに弱いんですよね(笑)

 先程ご紹介した立岡宗一郎選手もまさに苦労人といえる選手でございます。高校から福岡ソフトバンクホークスに2位で指名されプロの世界に入り、その時は背番号7を貰うなどかなり期待されていましたが僅か4年で巨人にトレードされてきました。

立岡宗一郎

 トレード直後例によってジャイアンツ球場に行ったら確かアマチュアとの練習試合にスタメンで出場してまして、その時ホームランを打ったんですよ。

 更に翌週も見に行った試合でもホームランを打ちまして、「こんな凄い奴がトレードできたのか」と驚きました。この時彼は右打者でありまして、打撃スタイルは結構粗かったんですが飛ばす才能に関してはかなりのセンスを感じてそのまま気になるようになりました。

 しかしそんな彼を不幸が襲います。7月、守備中にチームメイトとぶつかり肘の靭帯を断裂。手術後も痛みでバットが振れなくなるほどの大怪我を負ってしまいました。

 …この時の事を思い出すと、今でも泣きそうになっちゃうんですよね。期待されながら入団するも芽が出ずわずか4年でトレードされた若者が、新天地で頑張ろうとした矢先に大怪我を負うって、神様は彼にどれだけの試練を与えるんだと。だって彼、怪我をしてから左打者への転向を余儀なくされてるんですよ。本当に右でスイングできなかったんですよ。そんなのってあんまりじゃないですか。

 しかしそんな逆境が襲いながらも立岡選手は頑張ります。左打者になり、バッティングスタイルも巧打型に変えたのが功を奏したのか翌年の2013シーズンでは春先から高打率をマークし5月に初の一軍昇格!初ヒットもマークします。凄くないですかこの駆け上がり具合(笑)この前年大怪我して中学生の時にちょっとやってみた事くらいしかないという左打者に挑戦を表明したのがオフの契約更改なんですよ。そこから半年で一軍に上がって結果出すって、ポテンシャルの塊じゃないですか(笑)

 しかも一軍に上がった時ってまだ登録上は右打ちでして、そこから両打ち登録になるんですが当然右では立てないので左で立ち続けたわけです。この泥臭さ半端ないじゃないですか(笑)もう大好きになっちゃいましてね、ここからずっと推しなんですよ。

 2015年にはシーズン途中からレギュラーの座を掴み、300打席で打率3割100安打を記録。このサクセスストーリーには心が震えましたね。翌年にはプロ初ホームランをマーク。このままレギュラーに定着してくれるものと信じてました。

 ここから立岡選手は長い低迷期に入ってしまいます。よく「ホームランを打ってスイングが大きくなったから」と言われるんですが正直個人的には仕方ない事だと思ってまして、2010年代後半って野球界が一気にパワーありきの方向に向いたんですよ。

 2015年の立岡選手ってめちゃくちゃ単打を量産したり脚を活かして二塁打三塁打も打てるまさに巧打系だったんですが、こういうタイプの価値が薄くなりつつあったんですよね。ホームランこそ正義みたいな、まあ僕もそう思うのですが選手によって向き不向きは当然あるわけで、立岡選手もパワーをつけようと体を大きくしてたみたいなんですが、これが彼には合わなかったという事なんですよね。

 急な体の変化についていけなかったのか2016年に脇腹を痛めてしまい、そのまま打撃の調子を崩してしまいました。

 2017年、 2018年と不調が続き、不調が続く選手に与えられるチャンスは当然少なくなっていくわけで、しかも巨人は積極的に補強するチームでございますから2019年に丸佳浩選手が移籍してきた事で立岡選手の出番はもう完全になくなってしまったわけです。

 僕はもう去年から覚悟しておりました。1990年生まれの立岡選手は去年時点で29歳。出番のなくなった中堅がどうなるかなんて考えなくてもわかります。でもこれがプロの世界なので、押しといえども仕方ないなとは思ってたんですよ。

 しかし2019年、彼はクビを切られなかった。

 立岡選手って考えてみたら素行面の悪い話をこれまで一度も聞いた事がないんですよね。むしろ後輩の山下航汰選手にアドバイスをしてあげたりとか良い話しか聞きませんでした。

 22でトレードされてすぐに大怪我をして左打者への転向を余儀なくされて、普通なら腐りそうなところを半年で一軍に上がるほど努力したわけですから、元々が練習熱心な性格なんでしょうね。おそらくそういうのが評価されてなんとか首の皮一枚繋がり、そして今季もシーズン前に骨折がありながらシーズン途中から昇格してきまして、なんと4年振りとなるホームランも放ちました(笑)

 もうね、テレビの前で泣きましたよ(笑)

 もちろん競争の激しい世界ですから、ホームランを打ったとてオフには解雇されてしまうかもしれません。この間のホームランが野球人生最後の輝きになるかもしれない。でも立岡選手は最後まで諦めずに戦ってくれるでしょうし、今年も生き残ってくれると信じております。

 これからも頑張れ、立岡選手!

 最後に、プロ人生で一度も一軍に上がれなかった推しの話もしておきます。その人は競合のドラフト1位で巨人に入団してきました。高校時代は大阪桐蔭高校で豪腕として鳴らし、巨人でも必ず活躍してくれるだろうと期待しておりました。

 辻内崇伸というプロ野球選手を皆様覚えていらっしゃいますか?

辻内崇伸

 僕、彼と同い年でして。しかも同じ左利き。そんな選手が競合1位で入団してきた時は物凄く嬉しくて、すぐに推しになりました(笑)当時まだ日本人で150km投げる左腕自体が珍しくて、彼が入団した数年後あたりから続々と速球派左腕が誕生し出すんですがこの時は本当に将来巨人のエースになってくれる未来しか見えませんでしたね。

 1年目は二軍でローテで回り、打たれながらも三振は奪っていました。このまま順調に成長してくれればな、と期待していました。

 辻内投手は翌年から度重なる怪我に泣かされる事となります。

 2年目のキャンプで左肘の靭帯を断裂を断裂。2009年に二軍で復帰しますが2010、2011年とまたもや怪我をし二軍でも投げられない状態が続きます。2012年に中継ぎとして二軍で結果を残し一軍に上げられたのですが、一度も登板機会がないまま一週間で抹消。これが彼の唯一の一軍体験となりました。

 2013年にはキャンプ中に左肘痛を再発。腕が上がらない状態が続き、そのままオフに解雇、引退。8月にアマチュアとの交流戦で登板したのですが、その時の球速は120km台。もうあの頃の豪腕の姿はありませんでした。

 2013年の手術後、彼は病室を訪ねてきた新聞記者の方にこう言われたそうです。

「僕の腕とあなたの腕、交換してもらえませんか?」

 辻内投手が引退を表明した際に読んだ記事で書いてあったのですが、さすがに泣きましたね。こんな報われない事ってあるのかと。彼を一度でいいから一軍で見たいという想いも叶わずに野球人生を終えられてしまいました。

 しかし彼の野球人生はこれで終わりません。彼、なんとこの後プロチームの監督に就任されたんですよ。

 そのチームとは女子プロ野球の埼玉アストライア。当時はイーストアストライアというチーム名だったと思うのですが、その監督に抜擢されたんですよね。

 というのも辻内さんが引退後就職したのがわかさ生活という会社でして、そこの会社が出資して生まれたのが女子プロ野球だったんです。これを知った時本当ウキウキになりまして(笑)彼が監督をしている間アストライアの試合なども見に行っておりました。

 辻内さんが監督をしておられた時に直接話しをさせていただいた事がありまして。試合後に監督や選手のサイン会があったんですけど、その時に巨人時代のユニフォームを持っていったんですよね。

 サインを書いていただけませんかと渡した時に、辻内さんがユニフォームを広げながら言った一言が今も忘れられません。

「懐かしいなあ…」

 泣くのを我慢しながらお話しさせていただいたのを覚えております。

 例え活躍してもできなくても、推しは推しです。二軍にいても他チームに移籍しても野球を辞められても。僕は彼らの活躍をお祈りするだけですし、例え結果が出なくても応援する気持ちは変わりません。

 少し長くなりましたので、最後に僕の好きな曲の歌詞を引用して終えさせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。それではまた。

キミの夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで
走ってきた
飛べなくても不安じゃない
地面は続いてるんだ
好きな場所へ行こう
キミならそれができる

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