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『コンビニ人間』と、『機動戦士ガンダム』と、ガンダムには出てこないキャラクターの話

 緊急事態宣言が終わりまして、しかも僕の好きなプロ野球もどうやら始まるらしく、まあまあウキウキした気分で過ごしております二岡せきぬです。皆様この一週間いかがお過ごしだったでしょうか。

 僕はといえば先週『機動戦士ガンダム』を見終わりまして。それと同時に小説を一本読んで、それを題材にしたVtuberの配信にも参加してきました。今回はその3つについて話していきたいと思います。

 まずは『機動戦士ガンダム』の話からしていきますね。先月から1ヶ月くらいかけて初代ガンダムの全43話をゆっくり観ていきました。今までガンダムを食わず嫌いしていたわけでありますが、今回観てみて大まかに2つの感想が生まれまして。

機動戦士ガンダム

 1つは「観て良かった」。
 もう1つは「でも10代の頃観てたらわからなかったかも」。

 ガンダムがアニメ界の巨匠・富野由悠季監督の最高傑作なのは皆様知っていらっしゃると思いますが、魅力としてはやはり圧倒的なまでのキャラ描写の濃さなんですよね。主人公のアムロ・レイを始め登場するキャラクター1人1人に理念があり、確固たる意思がある。敵役のシャア・アズナブルがなぜ人気なのかというのも観ればよくわかります。敵であっても完全な悪として描写せず、多面的に光を当ててキャラを立てて立てて立てまくる。

 例えばシャアはアムロにとって敵であるジオン公国のエースパイロットなのですが、ジオン公国の国王デギン・ザビやその息子達に恨みを持っていて、途中裏切って殺したりするんですよ。かと思えば作戦失敗の責任を取らされて左遷されてしまったり、そこからまた復活したりと敵役のはずなのにドラマがあって、感情移入できるような作りにしてある。

 シャアの左遷中代わりにアムロ達と戦ったのはランバ・ラルというおじさんでして、このキャラは10話くらいでいなくなってしまうのですが部下思いであったり、敵であるアムロを認めたり、先頭に立って生身で戦ったりもして、非常に人間らしさを見せてくれるんです。

 もちろんアムロやその仲間達にも十分な設定と人物描写があって(これは後程書きます)、ガンダムというロボットで戦う爽快感というよりかは濃厚な人間ドラマを味わう作品として仕上がってるんですよね。

 ロボットアニメの枠を使った大河ドラマと表現した方が正しいのかもしれません。

 一方で描写の情報量があまりにも多く、脳内で処理しきれなくなりそうな瞬間が何度もありました。特に終盤なんかは頭の中で何回も解釈していきながらやっとの思いで着いていったのですが、これが若い頃だったらできてたかどうか自信ないですね(笑)少なくとも子供向けのアニメとしては難しいかなと感じました。

 で先週はガンダムを見終わる傍ら、小説も一本消化しまして。それがこちらなのですが。

コンビニ人間

 無知なんで触れてみるまで知らなかったんですが、芥川賞受賞作品みたいですね。主人公は30代のコンビニバイト・古倉恵子という女性なんですが。

 直球に表現すると彼女はサイコパスです。

 もちろん本編では一言もサイコパスとは書かれてないのですが、子供の頃に「死んだ小鳥を焼き鳥にして食べようとする」「喧嘩の仲裁に入ってスコップでぶん殴る」「発狂する女性教師を静かにさせる為にスカートを下ろす」…という、非常にユニークな(笑)事をして周囲を振り回します。大学生の時にコンビニで働き始めてからは奇っ怪な行動を取らなくなるのですが、そのままコンビニに居着き18年も就職も結婚もせずにバイトを続けると。

 これだけ見ると「ただの頭おかしな女」なんですが(笑)これってすべて彼女が合理的に判断した結果なんですよ。

 小鳥を焼き鳥にしようと思ったのは「父親が焼き鳥を好きだから」であり、スコップで殴ったのは相手を失神させるのが一番手っ取り早いと感じたから。女教師のスカートをずり下ろしたのもそうですね。

 悪意なんてものはなく、あくまで"最も効率的な方法"を躊躇なく試そうとする。

 これがいわゆるサイコパスと呼ばれる人の特徴であります。よく漫画とかでは狂気的なキャラクターや殺人鬼みたいなキャラによく用いられるイメージですが、個人的にはそういった直接的な怖さではないと思うんですよね。

 サイコパスには人間的な感情がありません。他人の気持ちがわからず、興味すらない。『コンビニ人間』の古倉恵子には彼女を支えてくれる家族や友人がいるにはいるのですが、彼女にとっては「コンビニで働く事」と「普通の人間っぽく振る舞う事」にしか関心がない。同僚の口調や服装を真似たり、みんなが怒ったり笑ったりしてる時に一緒になって怒ったり笑ったりするのですが、本心でそうしてるわけではないので中身がないんですね。

 愛情というものもないので、妹の赤ちゃんがぐずっている時、妹があやしてるのを見ながら「そんなことしなくても黙らせる方法があるのに」とついつい思ってしまう。

 つまり心そのものがないんですよね。

 そんな恵子に親や妹は「どうやったら治るのだろう」と悩むのですが、治る治らないという話ではなくて最初から"ない"んですよ。言ってみれば人間の形をしているだけで中身はまったく別の生物というか、宇宙人みたいなものなんです。

 この『コンビニ人間』という小説は、あくまで僕の個人的な感想ですが"サイコパス視点で見たホラー小説"なんですよ。こういうキャラクターって普通は主人公を追い詰める不気味な敵役として登場して読者を怖がらせるのですが、この小説はサイコパスの一人称視点で描いているので怖さを直接的には感じにくい。最後なんか猟奇的でないだけでめちゃくちゃ怖い終わり方だと思うのですが、恵子視点から見てるので凄いハッピーエンドになっている。

 ああ、確かに芥川賞を獲るだけの作品だと、そう感じましたね。

 …でここからがやっと本題みたいなものなんですが(笑)なんでまたこの2作品を取り上げたかと言いますと、ここからする話に密接に関わってくるからです。

 今日5/28から5日前の5/23(土)。フミさんという方のチャンネルで『コンビニ人間』の感想をみんなで話し合うという趣旨の配信が行われました。で↓が実際の部分なのですが。

この配信を前にツイッターで募集された #V読書会第2回 という『コンビニ人間』の感想を送るタグに投稿した僕のツイートが、ありがたい事に配信内で取り上げてもらったんですよね。まあサムネイルにもしたんですが。

 これは「スコップで殴らずに終わってくれて良かったです」と雨森小夜さんが読んだ時にフミさんが笑ってくれた瞬間ですね(笑)笑っていただいてどうもありがとうございます。

 で、今から雨森さんとフミさんの会話を一部抜粋します。

フミ「最初に小夜さんに送った我の感想、ちょうどこの今読ませていただいたせきぬさんの感想とちょうど逆な事言ってて」
雨森「そうですね」
フミ「我はコンビニ=人間っていう感想を持ったんですよ」
雨森「うん、うん」
フミ「それでどういう事かと言うと、「コンビニで働く事で人間であろうとした恵子」、「コンビニで働く事は人間でいられる方法」、つまりこのコンビニの描写がたくさんあったけど、その周りの人の真似をしながら生きていく"コンビニ"がそもそも人間の在り方と一緒だなっていう風に受け取ったので」
雨森「今までの生き方と一致しているという事ですね」
フミ「恵子の生き方が凄くコンビニの在り方に凄い重なって見えたので、という事は人間になったんだなって思ったんですよ」
雨森「あーなるほど!」
フミ「ちょうど真逆ですね」
雨森「確かに人間から新しい生物に生まれ変わるんじゃなくて、恵子は進化したと。進化というか"なっていった"という事ですよね」
フミ「ちょうど小夜さんが言ってた、コンビニに属しているっていう状態みたいな事をさっき仰ってたのと同じで、コンビニで働くそれがもう人間であるっていう、人間である事をコンビニが作って、コンビニという存在が恵子を人間でいさせてくれるので、恵子は凄く悲しいけど人間なんてコンビニなんだよっていう(笑)捉え方をしてて」
雨森「なるほどね(笑)」
フミ「お前ら頑張ったってコンビニのマニュアルがあって正しく、コンビニにあるやり方通りに生きてる人間が正しくて、それが評価されるっていう。どうせ人間なんて"コンビニ"なんだから、恵子は"コンビニ"として生まれたんだ。つまりこれが人間だ、享受しろ…という感じに受け取ったので」
雨森「コンビニに限らず他の会社とかでもマニュアルがあって、人間はそこの箱で作り替えられていくんだから、恵子は"コンビニ"として、コンビニの箱で人間になるという事を受け入れろとそういう事でよろしいでしょうか」
フミ「全体的社会として、コンビニを本当にわかりやすい例として取り上げてるけど、言うてどこもこんなもんやろと。全体の社会で生きるってコンビニの店員になるって事でしょ?って言ってる風に感じたので、凄く人間になったなっていう。人間として認められたんだなっていう感覚で見てたので、このせきぬさんの意見めちゃくちゃ我は面白いな。逆で面白!って」
雨森「そうですね、真逆ですねそういう点では。観点が完全に違う」

 抜粋してたらめっちゃ疲れた(笑)

 まあともかく、僕の意見はフミさんとは真逆の立ち位置になってしまったわけであります。つまりフミさんはコンビニを「小さな社会」として捉えていて、古倉恵子との社会的な繋がりを担っていた。その場に戻る事によって彼女は自分を人間たらしめた…そのようにお考えになったという事なんです。

 対して僕はコンビニというものをサイコパス特有の偏執的な興味としか捉えていなかった。結婚とかコンビニバイトでない正社員としての仕事とか、そういったものを全部捨ててコンビニに戻っていったので、僕としてはその時点で社会的な繋がりを一切断ったんだな…そのように解釈したわけであります。

 もちろん僕の意見が絶対に正しいもん!とか、フミさんが間違ってるとかそういう話をしたいのではありません。意見は違って然るべきですし、違うからこそ価値観が生まれて楽しいわけですから、ここで否定してしまう事ほどもったいないものはないわけです。

 では僕がどうしてわざわざこれを取り上げたか。

 フミさんはガンダムが好きな方でして、ガンプラを作る配信とかもされていらっしゃるんですね。で今回この場面を観ていた時に、「なるほどな!」と閃きまして。

 フミさんの思考って、ガンダムなんですよ。

 先程書いたとおり、ガンダムは人物描写がとにかくエグいんです。敵味方関係なくキャラには理念があり、意思があり、行動する理由が明確に存在する。

 ガンダムで最も有名なセリフに「殴ったね!二度もぶった!親父にもぶたれた事ないのに!」というのがありますよね。いやなんつーセリフだよ(笑)ってずっと思ってたんですが、しかしこのシーン観てみると凄く味わい深い。

 アムロを殴ったのは彼が所属している宇宙艦ホワイトベースの隊長、ブライト・ノアなんですが、一度目の時に「殴ってなぜ悪いか」と言いながら謎のポーズするんですよね。

 なんじゃこれ(笑)って最初は思ったんですが、これは要するに罪悪感からアムロをまっすぐに見れない、という事なんですね。

 そもそもなぜ殴ったかというと、アムロが戦闘に次ぐ戦闘で疲れ果て、ガンダムへの搭乗を拒否したから。この時点では正式な乗組員ではなかったので、甘えがあったんですね。でもアムロが戦ってくれないと今戦闘に出ている仲間が死んでしまうと。

 そして二度殴った後こう言います。

ブライト「殴られもせず一人前になった奴がどこにいるというのか」

 僕これを聴いた瞬間、「かっけー!」って思っちゃって。

 つまり彼は、別に殴りたくなんてなかったわけです。だがアムロを戦場に行かせなければいけない。それをわかってくれとは言えないわけです。だから殴った後でうしろを向くし、二度もぶつわけです。

 殴る側にも事情があるという事を、口で説明なんてせずに伝えきってるわけですよ。

 こういう凄いものを見たら確かに人間すべてが理由をもって生きてると感じますし、実際僕もガンダム観た後はガンダム脳になりました。ガンダムを観ると相手の事まで考えられるようにもなりますし、これを好きなフミさんもきっと多角的に物事を考えられる女性なんだと思うんです。本当に素晴らしいと思います。

 …であると同時に、先程の場面についてこうも感じるわけです。

 もしブライトさんが「殴るのが一番手っ取り早い」と思って殴っていたら?

 これが古倉恵子の考え方なんですね。ブライトさんがもしサイコパスだったとしたらまったくストーリー違ってくるじゃないですか。だからガンダムにはそういう「行動に理由のないキャラ」なんてのは出てこない。

『コンビニ人間』でも古倉恵子の妹や友人、コンビニの同僚なんかは彼女が時折見せるサイコ的な側面を不信がりますし、それでも「何か理由があるはずだ」「どうしたらまともになるのか」という目線で彼女に接するんですよ。僕はこれらもガンダム的な思考だと思っていて、古倉恵子が結婚しなかったり同じコンビニで18年間もバイトしてるのは何か理由があるはずだと、因果関係を結びつけようとしてるわけです。

 ただ僕個人からするとそれは彼女を完全に理解しているとは言い難く、逆にすべての「これはこうである」という理由を取っ払って始めて古倉恵子という存在を理解できるのではないか…そう感じた次第であります。

 以上、僕が最近語りたかった事を今日は思う存分語ってみました(笑)『機動戦士ガンダム』と『コンビニ人間』は本当に対極の存在なので、両方観てみると凄く面白いですよ。

 では今回はこのへんで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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