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【自己紹介】三十路に片脚突っ込みはじめた男のこれまでの人生を語る。(n=1)②

 「勉強をしよう」、「研究をしよう」と意気込みはしたものの1年の前期で必修科目を全て落とした私は、「人間とは如何に弱い生き物なのだ!」と1人嘆き、人間とは自分が決意した事や自己を裏切る天才だとつくづく思いました。このままでは大学を卒業する事はおろか、人として大事な何かを失う気がしました。自分が決めた事も守れない。己の意志に己が屈服するというかなんというか。これは他人は一切関与する事ができない極めて内省的な体験でした。いっその事、他人から非難されたい気持ちになりました。とてもくだらない事柄なのですが、当時の私は自分の意思の弱さを実感したのです。それと同時に自分の決意を固めたとて、行動に起こす動機、目的がなければ何事も為す事はできないという普通に考えれば分かるようなことを認識しました。

 では、何のために勉強するのか、そこからさらに何のために人を救うのか、何のためにお金を稼ぐのか、目的の明確化をしてみる事にしました。考えぬいてでてきた答えは、将来のため、世のため、人のため、愛する家族のためというありふれたものでした。それはそれで立派なものですし、一見すると至極妥当で万人に受け入れられやすいものです。では将来のため、世のため、人のため、愛する家族のためにそれらをなしてどうしたいのか考えてみると、途端に考えがまとまらなくなりました。最終的に利他的な精神だけで自分の行動を動機付けるには限界があるという結論に達したことを覚えています。結局、私は勉強も研究もする明確な理由も持ち得ていなかったのです。   
 とはいえ「大学には入ったのだし、とりあえず卒業はするか」という気持ちで単位取得のための勉強をする事になりました。してみると、案外勉強が楽しいのです。自分が知っていると思っていた事の新しい事実を発見して感心し、知る事を通じて未だ明らかにされていない事柄が浮き彫りになる感覚はなんとも言えない高揚感がありました。「理由は後からついてくる」と言いますが、まさにこの言葉通りで、その理由にもはじめのうちは他人が介在する余地が無くても良いのだと思いました。何か行動を起こすときに、はじめから合理的で、整合性がとれていて、誰しもが納得する理由なんてものは到底考え付かないし、必要もない。良い結果を出す過程の中で行動(為すこと)の理由(動機)が拓かれてくるんだと独りごちていたのです。

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