なぜ男児の陰茎はテーマパークとなったのか。~おちんちんランドのメトニミー~

1.おちんちんランドとは何か

おちんちんランドという言葉がある。
この言葉の組み合わせが存在しうるということ自体がそもそもの間違いであり、このような日本語が巷間の人々を羞悪させるかもしれない。
ただ、ここではいかにこの言葉が不善劣悪であるかを語るつもりは毛頭ない。
この言葉ができた経緯について、特になぜおちんちんという言葉を用いたのか考えていく。

まずおちんちんランドとは何か。
ニコニコ大百科から定義を拝借したい。

概要は以下のとおりである。

・そもそもの語源は漫画の「ニニンがシノブ伝」である。
・これが転じて、虹裏のショタ画像スレを表す言葉となった。

「おちんちんランド」ニコニコ大百科

ここでは二行目のショタ画像スレを表す言葉となったというところに焦点を当てる。
この言葉の用法において一つの疑問が生じる。
それはここでのおちんちんという用語の使用は、メトニミーとして失敗しているのではないかという疑問である。

2.メトニミーとは何か

Wikipediaとなるが、用語の定義を確認する。

換喩(かんゆ)、メトニミー(英: metonymy)は、修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種である。また、そうして用いられる語句そのものをもいう。

「換喩」Wikipedia

例えば、「永田町」という言葉で、日本の国会を表すことがある。
これは、日本の国会が存在する地名で、日本の国会そのものを表現している。
このようにして、具体を一つ挙げることで、テクストから読み取れる抽象概念を表現する方法がメトニミーである。

おちんちんランドもまさしくこれが使われている。
ショタの持つ具体的な特性であるおちんちんを挙げることによって、ショタそのものを表現しようという試みである。

3.おちんちんを有するのはショタのみではない

しかし、おちんちんを有しているのはショタのみではない。
大人の男性もおちんちんを有している以上、ショタではなく成人した男の陰茎が集まっているところも「おちんちんランド」と表現できてしまう。

goo辞書を確認するとおちんちんは以下のような意味を持つ。

1 陰茎をいう幼児語。おちんこ。
2 男女の仲のよいこと。ちんちんかもかも。

goo国語辞書

上記の1の意味からおちんちんの表現によってショタを表現することが適切であるという反論もあるかもしれないが、性的興奮を惹起する目的で、女性が陰茎をおちんちんと表現することがヲタク界隈で一般的になっている以上、この言い訳は適切ではない。

また、先ほど挙げた「永田町」の例を持ってきて、永田町に存在するものは、日本の国会だけではないのだから、「永田町」で永田町にある飲食店を表現できる。メトニミーにおいては、こうした意味の曖昧さは避けられないという反論もあるかもしれない。
しかし、「永田町」の例は、文脈から政治的内容であることが推察できる場面でしか使われない。
「ショタ」と「大人の男」のような、重複した特性を持つ複数を判別するのに、メトニミーは適していないのである。

4.結論

「この表現を見出した方が、異性愛者の男性だったからである」というのが私の見解である。
異性愛者の男性は、ショタ、女性が性的対象となりえる。
つまり、彼の性的対象の中で、おちんちんを有しているという特性は、ショタ固有のものであり、おちんちんによってショタを表現することが、彼にとって十分理にかなったものなのである。
この結論において、おちんちんランドの製作者視点での無矛盾性を指摘することはできたが、おちんちんランドが孕んでいる一般的な問題性は解消できていない。
この不完全性が許容されないほど、ネット世界は狭量ではないが、それでもその不完全性は、おちんちんランドの持つ特性として特筆されるべきものであろう。


これまでおちんちんランドについて考えてきたが、この表現を批難しようという意図は一切ない。
むしろ、日本語に対する既成概念を打ち崩し、言葉による表現の可能性を広げてくれたことに感謝しかない。
おちんちんランドは、その語気からも、内容からも我々を魅せてくれるのだ。

私は興奮を禁じ得ない。

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