卒ライ

初めて卒業を実感した。
ライブ終わり、打ち上げ終わり、全ての挨拶が「入学式で会おうね」だった。
終わりの挨拶なのに始めを約束するというアンバランスさが心地よかった。

ライブを開催してくださった色々な方にお礼を申し上げることは前提として、休みの日なのに来てくれた友人や一緒に走り抜けてくれたバンドメンバーに感謝を伝えたい。

中学の時から自分の無力さを痛感し、自己嫌悪に陥っていた。
それに加え、部活でも同期の女子とメニューが違ったり、兄弟と歳が離れていたりなど、何かと1人で何かをすることが多かったこともあり、同年代の人間と何かをやり遂げることは初めてだった。
とても楽しかった。
ただ、自覚があるワガママ人間なので、勝手に不貞腐れたり、人が集まらないだけでイライラしたりと他人に八つ当たりをすることも多かった。
バンドメンバーの皆さんには申し訳ないと思っています。
ライブの出番中の記憶はほぼ無いが、ギターとベースが笑いあってたり、キーボードの人が手拍子を促していたり、ただ楽しかったのは覚えている。
十分にお客さんを楽しませられたかは自信が無いが、私は楽しかった。達成感に満ちていた。

高校に入学した時から、
「いずれ終わるから別に友達なんか作らなくていいや」
と思っていた私はコロナ禍もあり、1、2年の間は友達がほとんどいなかった。
卒業と共に失うのが怖かったのか、ただ面倒だったのか、その両方かは分からない。けど、たぶん前者だと思う。
中2で母を亡くしてから、死について考え続け、ずっと良い崖を探していた。死に方は飛び降りが良かった。有名なところはボランティアの巡回があることを知った。そして葬儀代を概算し、自らの死にそれほどの価値がないと考え、死ぬのを辞めた。ただただ苦しい3年間だった。
ちなみにまだ良い崖は見つかっていない。
半ば鬱状態だったこともあり、学校行事に参加する気力もなく、ただ毎朝起きて学校に行き、生きて家に帰ることで精一杯だった。
人前ではへらへらしていることが多く、メンタルも強そうだと思われているために、マイナスな状態を出すことは許されていないと感じていた。
だが、今年に入って急に部活が楽しくなり、練習をちゃんとするようになり、学校行事も勉強も全部において活き活きとしていた。
それは、間違いなく軽音楽部の皆さんのおかげであり、音楽が私を支え、それまではさらけ出せなかった感情をバンドメンバーには出せていたからである。
打ち上げ終わりに、「また会おうね」とか、「カレー作りに来てね」とか次の約束をしてくれる人がいてとても嬉しかった。1人先に帰る時も、みんなが手を振ってくれたその光景がとても眩しかった。

これほどまでに誰かに大切にされ、誰かを大切にしたという経験はなかったと自信を持って言える。とてつもなく貴重で、儚くて、泣きたくなるような不思議な感覚だ。

卒ライの打ち上げ終わりにこれを書いているが、なんかちょっと泣きそう。

誰かに救われてばかりで、私は誰かの支えになれているだろうかと思う。誰かが限界を迎えている時、気づけているだろうか。自分の手で救えると思ってなどいないが、ただ隣にいることだけでも出来ているだろうか。

まだまだ無力感に支配され、不安定な夜を過ごす予定だし、いずれ終わるものを大切にすることを躊躇うし、簡単に心は折れるが、もう少しで生きてて良かったと言える気がする。

あ、やばい、電車の中で泣きそう

とりあえず皆さんに伝えたいのは
3年間一緒にやって下さりありがとうございました。これからも一緒にいてください。
バンドもやりましょう。もっと練習して上手くなる予定です。情緒も安定させます。遊びにも行きましょう。
私の拙い言葉では伝えきれないほどの愛が詰まってます。

こんなふうに、人との繋がりを感じ、ライブも楽しく終わり、燃え尽きたと感じたので卒業を実感しました。
また大学でよろしくお願いします。
口約束でもちゃんと覚えている人間なので、また集まろうね。

私の周りの全ての人に感謝を。


最後に、感情のままに書き殴ったぐちゃぐちゃの文章をここまで読んでくださりありがとうございます。重い話を沢山してすみません🙇‍♀️
じゃあまた!


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