見出し画像

今になってわかること

これは私が銀行員だったときの話。

当時私は窓口業務を担当していた。
片田舎の小さな店舗だが、利用客は多く一日中慌ただしかった。
毎日大体同じ利用客が来るのでそれなりに顔は覚えていたし、世間話をするほど親しくしてくれる人も中にはいた。

ある日一組の親子が来店した。
あまり見かけない顔。
3歳くらいの男の子と抱っこ紐の中には生後半年くらいの赤ちゃんとお母さん。

住所変更だったかなんだか、、なにかの諸届の変更をしに来店。
今ではそのような手続きは来店しなくてもネットでサクッとできてしまう時代だが、当時はネットバンキングがまだ普及しておらずわざわざ取引店まで来て手続きをする人がほとんどだった。

私が受付をし書面を確認。
次は変更内容が確認できる身分証明や住民票、印鑑などを提出してもらうのだが、その母親は肝心のそれを忘れたのか無くてもいいと思ったのか、持ってきてなかった。

それがないと手続きはできない旨を説明すると、唖然とした表情を見せた。
なんとかならないか、代用できるものはないかと焦りながら食い気味で懇願するかのように聞いてきた。

残念だが証明できるものがない限り受付できないと断る。
私がまだ2年目の若僧だったのもあり信用できないのか、なかなか引き下がらないので男性の上司に相談すると、もちろん同じ回答で対応をする。

そこでやっと無理だと気付く。
「はい・・・わかりました」
そう言った母親の顔は目にいっぱい涙を浮かべ、悔しそうな表情で子供の手を引き店を後にした。


え、泣くほどか・・・?

びっくりして正直引いてしまった。

また取りに帰ればいいし、そんな悔しがることではないと思うけど・・・。
そんなことを思っていた。

でも、母親になった今、あの時のお母さんの涙と悔しい気持ちが痛いほど分かる。

大前提に、幼い子供2人を連れての外出はかなりの気合いを要する。

上の子はイヤイヤ期だったかもしれない。言うことを聞いてくれず段取り良く進まない朝の準備。
上の子と下の子のおむつ、ミルク、タオル、おやつ、着替えなどの細々とした持ち物の用意。

電車やバスで来たかもしれない。
時間に間に合うようにバタバタと自分の身自宅は雑に終わらせ、まるで逃げるかのように家を出る。

移動中も子供の機嫌をとりつつ周囲に気を遣う。
やっとの思いで銀行に辿り着き、届け出に記入するのも一苦労。やっとの思いでいざ窓口に行くと、できないと断られる。

また振り出しに戻る。

朝のあの慌ただしかった光景が頭をよぎる。
あれをまたしなければならないのかと。
あの同じ思いをまたしなければならないのかと。

きっとあの時のお母さんは、
なんで必要な持ち物を確認しなかったんだろう。
子供の持ち物は念のためにとあれもこれも入れてるのにどうして銀行に必要な物は持ってこなかったんだろう、と自分に腹が立って悔しくて虚しくて泣けてきたのかもしれない。

まだ若かったあの頃の私は、そんなことを想像することもできず、どんな言葉をかけてあげればいいのかも分からず、ただ母親の背中を見つめることしかできなかった。

あくまで私の勝手な想像だし、もっと違う何かが背景にあったかもしれないが、
「あんな時期もあったな~」
なんて今では微笑ましく話せるようになってたらいいな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?