見下したくなる感情の奥にあるもの

どうも、いくつになってもエレベーターとエスカレーターの名前がごっちゃになってしまう
すうまです


今現在、私は高校2年生でそこそこ楽しくやっているのですが、
今思い返してみると小中学校時代はなんとなく楽しめていなかったなあと最近思うようになりました


なぜ楽しめずに小中学校という期間を過ごせなかったのかを考えるとある結論にたどり着きました


あの頃の私は

様々なものを見下しまくっていた

からです


その様々なものは、細かいことから社会規模なことまで本当に多様なのですが、

まあとにかく醜いし、見苦しいものだらけです



ただ、この見下し経験から、ひとつ学びを得たのでその時のことを紹介します



私の記憶に残っている最古の「見下し」は
寄り道をすることに対してです

これは小学校2年の頃だと思います

本題に行く前に、皆様に知っておいて欲しいのは
ド田舎の小学校低学年にとって、寄り道をすることが結構なエンタメだということです

その当時は間違いなく楽しいものの5本の指に入っていました


ではなぜそのエンタメを素直に受け止めず、
見下すようなことをしてしまったのか


この原因は、周りの友人が感じる面白いについていけず、一緒に楽しめなかった自分を正当化するためです


当時、私が腹の底で思っていたことは

「私が友達と寄り道をして楽しめないのは

この寄り道をするという行為側に問題があって

私の感覚のせいではない

絶対に寄り道という行為のせいだ

だから、寄り道という悪い行為をしようとする奴らも間違っているに違いない

私は悪くない

悪いのは寄り道というくだらない行為と
それで時間を潰すあいつらだ」


脳みそが腐り切ってる!!!!!

子供なんだからおとなしく遊んで

おとなしく楽しめ!!!!!

余計なことを考えてんじゃねぇ!!

この思考オワコン野郎が!!!!!

#ボロクソ言われたこいつへの励ましコメント募集中


今でこそこうしてボロクソ言えますが、
その当時はこの思考を信じて、生活していました

毎日下校の時に、いろんなところで立ち止まっては、面白いことをして笑ってというのを

周りがやっているのを見て、
本心から笑いたくても見下す気持ちが邪魔をして、楽しめず

自分のせいだと分かっていても、それを認めたくないので

さらに「なんなんだよ、こいつら」と見下してしまうという地獄のループに入っていました


こんな見下しを1年ほど続けていましたが、
あくまで腹の底でのことで、表向きには笑って
いました

しかし、そんなことを続けていくと無理をして楽しんでる感がどんどん消滅していき、

腹の底の考え方も見下すことから、肯定するように変わっていきました

そして、どんどん楽しむようになって、友達と
ワクワクしながら寄り道をする日々が始まりました

今までの反動もあって、寄り道が大好きになりました


時は経ち、すっかり寄り道ライフを満喫するようになった私は思いました


自分はなぜ、寄り道を見下していたのか?

その答えは「憧れ」です

つまり、私は初めから「寄り道」に憧れを抱いていたのです

だから
「寄り道という行為もそれで時間を潰すあいつ
 らが悪い」

なんていうのはただのハッタリで

憧れているのに、大好きなのに、
それに飛び込んでいけないという自分を守るために出てきたものだったということです



見下したくなる感情の奥には憧れがある

これを私は学びました


その数年後、中学校の時にそれを証明するように

始めの頃は見下していた生徒会に入って、
生徒会長になるのです



根拠は私の実体験しかありませんが

見下したくなる感情の奥には憧れがあるという
ことは私だけに限ったことではないと思います


もしあなたが見下してしまいがちだと感じているなら

たまには嫌いなことやよく思っていないものに
足を踏み入れるのもありだと思います

もしかしたら、憧れの世界が待っているかもしれません


ではまた お元気でー