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感情の羅針盤の使い方

感情を見つめてそれをどうする?

なぜ感情を見つめるようになったのか、
それは今見ている現実はホログラムのように
自分の内側が映し出されているということを
知ったことが原因でした。


そして映し出す映像のチャンネル設定は
感情でされていると


できるだけ、自分の感じたい感情を
長時間に渡って感じられるように
常に観察して、嫌な気分が訪れると
調節したりして


はっときがついたら
ん?
ありのままの感情をしっかりと受け止めていなかったかもしれないのでは?
怒りや、自己嫌悪、後悔
こういう感情が湧いたとき、
だめだ、だめだ
いい感情にならないと
チャンネルが切り替わっちゃう


みたいな


怒りを覚える自分の感情
自分を責める自分の感情
後悔する感情


そういうものに純粋な許可がおろせていなかった


「そういうふうに思っちゃうよね
まあ、いいよそれでも」
って全部の感情を認めて
許可をおろせたら


最高に優しい友人のように
自分自身に寄り添えたら


逆に、気づかないうちに
そんなの食べたら体に悪いとか
ネガティブな感情は良くないとか
ある意味そうなっている自分を責めて
優しく寄り添っていない


だから自分の現実に
ちょいちょい優しくない人が現れるのではないか


どこまでいっても内側が外側
自分が感じていることが外側で起きる


頭でわかっていることが
実際の世界に使えているわけではない
ネガティブな感情を否定することで
得ているメリットがあるから


例えば
自分のつらい現実の責任を徹底的に
自分で取ることを避けられるし


自分の怒りを認めることが
他人に対してその感情を
ぶちまけていいということではないし
自己憐憫ですべての力を手放していい
ということではないけど


もうそこへの執着さえ
気がついて、手のひらに乗せて
じっくりと色んな角度から眺めたら
どうでも良くなっていく
自分の最大の力が出せるような気がする


どこまで、望んだ先の感情に
今たどり着けるのか
全てはそういうゲームなのだ

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