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takt op. 0のための前奏曲

まずはじめに、これは今のところ、なんの公式でもなく、私個人が勝手に考えていること。


https://miyazaki-ac.jp/blog/2022/11203/


一昨年の2022年、上記に記したことを、そのはじまりを、今日この日に、記しておきたかったから。


その時点ではまだ開始されてもいなかった(クローズドβテストの募集もまだだった)takt op.は、ちょうど1年前の今日、2023年6月28日にサービス開始され、それから

上記で「期待と不安」と書いた後者が的中してしまい、10か月も経たない今年4月9日、

私が音楽祭準備等々で丁寧に看取る時間も全くとれない状況の中、静かにサービス終了した。


その時、まだあと2か月ほどはずっと忙しくなる、と思いながら、

今日6月28日には、takt op. 0を開始したいと考えていた。

レクイエムとルネサンス。文字にすると、中二っぽくて恥ずかしい。

結果、まあいつものとおり、全くまだまだ準備が整わない。でも符合は重なる。


今日、Apple Vision Proが日本でも発売された。

UMArtistとしてクラファンで入手の形を模索していたけど、まさかこんなに早く日本で発売されるとは。

そして、その舞台となる都井岬は、2年後のウマ年、宮崎での大「馬」プロジェクト(仮)に収斂していくのだろうけど、この話はまだ広く知らせるような段階じゃない。avec Toiな夢の物語。その頃にはVision SEが出てるかな?


「これは日記じゃないんだけど。」

ウマ娘は一昨日、99人目のドリームジャーニーがプレイアブルとして実装され、

たしか1.5周年くらいからチビチビと微課金を始めた私もようやく、あと1人、

サウンズオブアースの育成を残すのみとなった(近日中に引換券交換を期待)。


100人まであと1人という、99人というタイミングも良いし、今の自分はそこにもあと1人届いていない、というのも、この状況に似つかわしく思う。


それは、今回のタイトルを《takt op. 0への前奏曲》としなかった感覚に連なる。

2002年初に提出した卒業論文、今日、本当に久しぶりに読み直して、あらためて我ながら面白い。これ、データがどこにあるかわからなくて、打ち込むのは(特に注や仏語表記等が)手間なのと、あれから20年余のうちにドビュッシー研究にも進展があろうから、さすがにそれも多少は浚ってからにしたいな、というのもあって、今すぐには差し控えるけど、このnoteにでも載せたら、また新たな波及もあるかも?と思ったり。


数年前の年末、書類の整理をしていて発掘された、指導教授からの卒業に際しての手紙、これもできたら許可をもらえたら載せたいくらいなのだけど、そこには絶賛とともに、(今や立派な音楽学者として大活躍されている、当時の)「現3年生が口をそろえて言うのは、3年の初めてのゼミで**君の発表を聞き、自分もあのくらい緻密な研究がしたいと思った、ということです。」とあり、たまたま縁あって昨秋、その(当時は後輩の)音楽学者と20年以上ぶりに京都で再会し、一緒に飲んだのだけど、彼はそこまでの強い思いは残ってなさそうだったので、まあ、先生も卒業に際して多少のリップサービスもあったかも?とも思いつつ、でもまあ、自分もそんな感動的な手紙をもらったのにも関わらず、もらった当時は大した思い入れもなく(もらった時はあったけど、忘れてしまったのかも)、そもそももらったことすら忘れていたくらい、若い時というのは、いろんなことが日々楽しくて吸収するのに忙しくて、

そうそう、自分も、卒論出す時は全然納得いかず間に合わないから締め切りを延ばしてと懇願し、「とりあえず書けたところまでで良いからとにかく出せ」と言われて、ぜったい続きも書く!と思ってたのに、いざ提出したら、もう卒業に向けてやることが多過ぎて楽しくて、そんな中で、卒業旅行で初めて訪れたパリ、ガルニエではラモーの『プラテー』(ロラン・ペリー演出)が、ちょうどサントリーホールのレセプショニスト仲間たちと一緒(卒業旅行と言いながら、卒業するのは自分だけで、他はまだみんな1~3年生)だったのだけど、レセプショニストが面白おかしく扱われてる演出で爆笑したり、バスティーユの方ではプレルジョカージュの『ル・パルク』がとても美しく、4月から新国立劇場で舞踊制作に配属されることをまだ知らない自分が、まさか秋にはプレルジョカージュと関わることになるなんて思ってもなく、内定が決まって入職前に幾つものゲネプロを観させてもらっていた、その最後3月末のキース・ウォーナー演出(今はもう舞台装置等もたしか破棄されてしまっただろう)いわゆる「トーキョーリング」の『ワルキューレ』の超巨大木馬、でもその時はまだ特に馬好きではなかったので(私の馬好き歴がまだまだひよっこだという所以)、それよりももっと前に観させてもらった、演劇の『コペンハーゲン』初演が自分にとっては一番心に深く刻まれていて、新井純さんとはその後、せんがわ劇場のこけら落とし公演『時の物置』でご一緒することになるのだけど、とにかく件の卒業旅行で、パリの前に、「オーロラを見たい」と言ってノルウェー(果ては悪天候の北極海で、後から写真で見返すと腰が引けて逆に卑猥な感じになってしまってる『タイタニック』ごっこ)に行く途中、経由地としてコペンハーゲンにも滞在することになるとは・・・って一体私は何を長々と走馬灯のように振り返っているのだろう?

そうだ、若い時の楽しさと吸収力と多忙と薄情を、言いたかったんだ。


最初のパリでの観劇も運命的な符合がいろいろあったのだけど、直近最後の海外も、やはりパリ(近郊?)、これは初音ミクの初のヨーロッパ・ツアーMIKU EXPO、2018年末で、黄色いベスト運動(Gilets jaune)がだいぶ盛り上がっていた丁度只中、大変な面もあったけど、これはこれで貴重な経験をさせてもらった。

その頃に札幌で関係のあったアニエス・ルテステュ(と今やオペラ座バレエの芸術監督、ジョゼ・マルティネス、2人の『シンデレラ』は2007年にガルニエで観たよ!と、ジンギスカンだったかをつつきながらジョゼ本人にも伝えたけど、その実、『シンデレラ』は個人的にオペラ座の(ヌレエフ版)より圧倒的にアシュトン版が好き…)のLe do(s) transfiguréという公演もあわせ、どちらも初めて行く会場、慣れない地域だったけど、アニエスの方の会場近くで泊まった宿はサンクルー競馬場に隣接していて(敷地内?)、馬関係のものもあり、とても良い雰囲気だったのを覚えている。フランスでは、ロンシャンもシャンティイもとても良かったけど(ベリー公のいとも豪華なる時祷書とか)、その他の国の競馬場はまだ行ったことがない。つい先日、チェコの演奏家が、自宅に馬が来る、って写真を見せてくれたので、久々にまた海外も良いなーという気が少しだけ湧く。


この直近最後の海外渡航(ジャーニーと言うよりトリップくらいだったけど)は、札幌から宮崎に移るきっかけの1つでもあった。2018年の夏、出張の夜に、同行の上司と飲もうということで、泊まった赤坂の「変なホテル」1階のアイリッシュパブに入ると、なぜかゴールドシップの写真と、たしかウオッカの写真も飾られていた。ウオッカはまだわかる、その頃はまだ存命で、アイルランドでお母さんになっていたから。でも何故ゴールドシップ??

まあ、今なら、写真家が同じだから?とか思うけど、その時は、衝撃を受けた。だって、たまたま用務先に近く便利だったので選んだホテルの1階に、それも普通のアイリッシュパブに、大好きな馬2頭の(片方はアイルランド関係ない)写真が飾られているとは。2005年末に府中に引っ越して競馬と関わり始めた自分にとって、ウオッカが活躍していた時代は、まさに一番熱が入っていた頃で(ウオッカが今も建っている東京競馬場はご近所だったし)、ダービーだけでなく、安田記念や天皇賞秋で、いわゆる「脳を焼かれて」、もうほんとにウオッカ大好きおじさんだし、ゴールドシップは、その年、仕事の関係で(その上司に)無理やりガラケーからスマホに変えさせられてLINEを入れさせられて、そのプロフィール写真にゴールドシップを使ってたくらいなので、上司に「ほら、これですよ!」と興奮して、それでウオッカにまつわるお酒(名前忘れた、すごい強かった、カクテルというか、飲み方だった??)を奢ってもらった記憶。それでも大事なところで、わかってもらえなかった…。


さて、長い長い、夢の旅路。

宮崎に来て、運転が必須となって、はじめてとなる自分の車(いつかは、でなく、いきなりクラウン)を譲ってくれた館長(理事長)も、今日、交代をされた。これが今日、4つ目の符合。


宮崎に来て間もない頃、著作権関係の講座を聴くために、同僚の運転する車に同乗させてもらい熊本県立劇場に行く道すがら、普段運転しない(不慣れな)運転手のことを「サンデードライバー」というのだと聞いた。


それで言うと、自分は「サンデートレーナー」か。


新規のウマ娘を育成するのに、私は、丸一日かかる。

丁寧に吟味し、興を削がない程度に気になることを調べつつ、想像力が羽ばたいてしまい始めたら、極力その飛翔に任せ、たいていは何度も何度もズビズビと鼻をかみ泣き(時に号泣し)ながら、さすがに都度のウイニングライブはスキップすることが多いけど、レースもこの時は飛ばさずに、じっくりと、3年間の(またその先の)物語に寄り添い、想いを馳せる。


サービス開始してから、こちらは40か月を超え、私のログイン日数も半月前には1,200日を超えた。始めたばかりの、まだゲームのことも何もわからない状態で、コロナだの何だの音楽祭が延期だの(自分にとっては懐かしの)ザハロワやレーピンをどう宮崎に運ぶだの、いろいろ忙し過ぎた頃と、昨年「avec Toi」本番で都井岬入りしていた頃、そして先週、救急車で運ばれて急遽入院した日、あわせても数日を除き、ログインだけはほぼ毎日している。微課金にとって、ログボやミッションでもらえるにんじん(ジュエル)はとっても大事だからね、ミッションも極力こなせるようにとは思っているけど、育成自体は普通の人よりどうにも時間がかかってしまうので(通常でも1時間では収まらない)、そんなにたくさんできない。他にもやりたいこと・やるべきことは山ほどある。1日48時間、自由に使えたら良いのに。可処分時間の奪い合い、と常々思う。ただ、古参であるおかげで、さすがにキャラクターの入手自体はようやく追いついてきた。


だから、新規の育成は、本当に休日一日を押さえて、丁寧に、気合いを入れて臨む。

それでも、もう98人。つまり40か月で、月に2~3人は育成している=月の(僅かな)休日のうち2~3日は完全に、新規育成に費やして、他のことは断念しているということ。

もちろん、そうするだけの意味があるから。

これだけ全てが不思議なほど繋がっている自分の人生の中で、馬のことだけは、なぜ、こんなに自分の中で意味を持つのか、それまでずっとわからなくて、それが不思議だった。それが、2018年にウマ娘に出会い、全てが繋がって、明確に「わかった」。

大江さん言うところの、これが「ヴィジョン」。…Vision Pro早く使いたいな。


その直近での育成が、ドリームジャーニー。ウオッカの同期。だからもちろん時期的にも、良く見てきた。上述のサンデートレーナーというのは、もちろん、サンデーサイレンスとは関係ないけど、血統のことなど今も思うところもあるけれど、特別強い思い入れのある曲というわけでもない「Everlasting BEATS」のアレンジが「そういうシーン」でBGMに流れると感傷的になる自分を発見することには意味があると思う。そして都井岬や木直さんの言葉を思う。


残るサウンズオブアースは、引っ越しもし、徐々に競馬場から足が遠のいていた時代ではあったけど、その名前を見ると、「がんばれ!」と応援していた。(宮崎ではコピーサービスも元々なかったけど、完全UMACA化されてから「がんばれ!」と言えなくなってしまって寂しい。JRA公式アプリを入れれば…と思ったけど、これも紙の券がないとそもそもダメっぽいですね。)

そのくらいの思い入れだけど、とにかく名前がね。お母さんはファーストバイオリンだし、

お父さんは、ウマ娘の中でも屈指のシナリオで、私は号泣しっぱなしだった、ネオユニヴァース。ちなみに私は、いかにもな「お涙頂戴」ではあまり泣けないと思う(良いと言われるシナリオでも、あまりピンとこないものもある)。ネオユニヴァースのシナリオについては恐らくいろんな人がいろいろ書いているだろうからそちらにお任せするけど、想像力の限りなさとかこの世界の深淵を見せてくれるようなシナリオ、そして何より音楽の本質を感じられるもの、そういうのに出会ってしまうと、もう涙が止まらない。あとは、誇り高さとか、個人的に考えさせられるもの(人を育てる・影響が広がる、とは、とか)、そういうのに弱いかも。


個人的なことも多い内容を、ここまで長々と(この書き方で)垂れ流す必要があるのか。

もちろん検討したけど、ウマ娘で、そしてtakt op. 0で大切なのは、

想いの強さ。

公式の運営だけじゃない、二次創作にも。


二次創作のことも、ウマ娘を知るまで、よく知らなかった。

ウマ娘以前、たしか東京を離れることが決まってから(2015年頃?)、一度行っておかないと、と同じく素人の友人を誘ってコミケに行って、とにかく不慣れなのでなんか怖くて結局なにも買うこともできなかった、その程度の自分が、何も偉そうなことは言えないのだけど、今も、そんなに(と言うかたぶん、ほぼ)よくわかっていない自覚はあるのだけど、

だから今はまだ、どうしても上手く言えないのだけど、

冒頭リンクのブログでも述べたように、二次創作と、まず音楽することの関係、そしてより広く芸術全般に関わる本質、そうして、自分の考えるオペラ、そこに、とても重要な意味をもつことに思える。


正直、この仕事をしていれば、権利関係のややこしくなりそうなところには、君子危うきに近寄らず、とか、リスク管理の感覚もそれなりにある。


それでも、takt op. 0は、二次創作の形で始めることに拘る思いがある。

著作権で就任早々いろいろあったと話にも聞く館長、雨男で名高い彼の退任の涙雨(?)が降りしきる今も、私のこの思いは変わらない。


ウマ娘プロジェクトを知った当初は、自分がソシャゲ(?スマホゲー?)をやる、まして微とはいえ課金することになろうとは、まさか思ってもいなかった。

だって最初に話を聞いた時は、どこかに書いた気もするが、「馬はそもそも馬である時点でもう既にこれ以上なく可愛いのに、なぜわざわざ人間に(敢えて言うならダウングレード)するのか、不思議でならない」が率直な感想だった。(まあこれは、リチャード三世やニーチェやガリバーにシンパシーを感じるとか言う人の言(SdT_4参照)だと思って適当に馬耳東風していただいて構わないのだけど。それに、これはあくまで馬に係る話で、実際、その言葉がもはや他人と思えなかったのは、プルーストやナボコフや紳士トリストラム・シャンディだったのだけど。)馬の姿のまま擬人化して成功している先行事例だって、たくさんある。そもそも自分はゲームにハマれたことがなかった。まあ、ウマ娘は「クロスメディアコンテンツ」(メディアミックスコンテンツ?どっち??)なのだけど。

多くの人と同様、自分も最初、ウイニングライブに唖然としたが、グランドライブシナリオで、そして「GIRLS’ LEGEND U」の特別なグランドライブで、積み上げてきたその意味に、多くの人と同様、号泣した。


昨年だったか、アンケートで「どのウマ娘が好きか」というような質問があり、馬はもちろん、ウマ娘もみんな好きなのだけど、キャラクターとしては、その時は、1番と言われたら、ファインモーション、と回答した。理由は、覚悟ガンギマリなのに、その上で今を、全てを楽しもうとしているから。周囲に対する配慮や接し方も含め、自分もあんなふうでありたい、と。本当はね。


今日、夜のNHKが(ところで「夜の」をつけると何でも意味深になる、という説がある)、英国訪問を終えられた天皇陛下のニュースをだいぶ長く報じているのを見て、眼前に飾ってあるファインモーション(馬の方)のぬいぐるみと目が合い、あ、これ最後の符合だ、と思った。いみじくも掛かる優勝レイは「第27回エリザベス女王杯」。その瞬間、noteにサムネイル写真が必要なことを思い出し、これだった、と。長い夢の旅路の中で、偶々だけど各職場のことにチラと触れていたのに、川崎だけは出てこなかったなと、ただ何となくだけど気になっていた。その時代に行った英国研修、その仲間たちとのMLに、昨日「avec Toi」記録誌の感想が幾つか送られてきていた。今日中に返せるかわからないけど、彼らに話しておきたいことはたくさんある。百年の孤独や他にも符合はまだまだあるのだけど…


間もなく今日も終わってしまう。

今回のタイトルの意味は、卒論をアップできた時に、わかってもらえるだろう。


takt op. 0の前、《takt op. 0への前奏曲》の更に前に、おそらくまだ、interludesやparaphrase finaleも挟まれるのだろうか?


それとも、そんなものはやはり存在しなかったのだろうか?

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