月見の日1: パスタと欠陥

(固体化学シリーズ、Ep2)


「せんぱいっ、お月見しましょうよお月見」
 秋の夜長、花の金曜日、研究室もとくに立て込んでいないという奇跡的な状況が揃った夜。凛から電話がかかってきた。眠い目をこすりながら、言葉の意味をゆっくり考える。
 曰く、お月見。月も星もわたしは大好きだが、凛から提案されるとは思っていなかった。もちろん、断る理由もない。すでにメガネは外し、お化粧も落としているので、枕に顔をこすりつけながら返す。
「うん、いいよ……今は眠いけど」
と、返したつもりではあるが、
「えー?こもってて聞こえないです」
と返されてしまった。いかんいかん、気が抜けすぎた。
「今は眠いから今夜は嫌だけど、日取りを決めましょう」
「せんぱいって朝型ですよね。わたしなんて夜行性だからまだ全然眠くないですよ」
時計を見ると、23時。日没は(10月前半)時なので、すでに日没から(時間)も経っている。人間は昼行性だから体に悪そう、みたいなことをくどくど言ってみる。
「そんな難しいことを考えているから眠くなっちゃうんですよー。花の土曜日はこれからですよ?」
なにも、日付が変わった瞬間から土曜日を謳歌しようとは思わないのだけれど。むしろ惰眠を貪りたい。
「月のこと、明日の夜は?」
「オッケーですよ!なにせ工業大学の男どもは、映画どう?って言っといて、その映画がポケモンなんですから。キャンセルします」
映画に誘われたのか。さすが黒髪の乙女。というか映画は昼に見ればいいのでは。
「え、昼の用事?というかデート……?」
「いやあ、別に。それよりせんぱいと昼から過ごすに決まってるじゃないですか。ショッピングしましょ」
寝ぼけているのだろうか。いや一番寝ぼけているのはわたしか。
「はいはい……明日の朝、ね」
「いや待ってください、何時にします?」
「お昼食べようね。12時小岡山で」
「うう、せんぱいの返答がどんどん短くなっていく……。いつしか国語審議会がせんぱいの家にのりこんできて、日本語の乱れを助長した罪で拘束されて、日本語教室に強制送還されるんだ。そして、あれ、せんぱい?」
と、いうところまで聞こえたのだけど、最後の問いかけに答える意識はなかった。

 朝。
 つばめはたぶん、顔を洗い終わって餌を探している。6時半ぐらい。妙に早く目が覚めた。
 わたしも女に分類され、かつ喜怒哀楽を出すのがめんどくさい質だとはいえ、好奇心旺盛な黒髪の乙女とショッピングデートとなるとちょっとはうきうきする。
 通話履歴を見ると、日付が変わるぐらいまではつながっていたらしい。あれ?寝落ちたのは23:40ぐらいでは?まあいいか。
 今日は、研究室の用事とは訳が違う。下手くそなりにアイシャドウにも気合が入る。濃くするわけじゃないけども。

 ということで、お昼。ショッピングモールの入り口。壁に寄りかかってなんとなくお腹の前で手を合わせて、伏し目がちで清楚な女子大生を演じていた。ぱたぱたと足音が聞こえたと思ったら、凛だった。なんだかうさぎのように跳ねている。
「おまたせしました~」
「ううん、まだ集合5分前だわ」
「いや〜、今日はちょっと寒いですから、せんぱいをここに立たせるのはと思って」
そんなに寒いかな?普通に秋の気候である。見ると凛は、 色のコートを着ている。下はロングスカート。ちょっと重装備な気もする。
「お昼、どこにする?」
と聞くと、ますます表情が明るくなって、大きな目を輝かせ、
「おいしいパスタのお店があるらしいんです」
と言うのだった。調べてたということか。

 お店はまあまあ混んでいた。とはいってもギリギリ、数分待っただけで向かい合う席に入れた。
 注文もそこそこに、急に凛が胸の前に手を合わせてじっと見てきた。白くてきれいな手だな、となんとなく思った。
「突然ですけど、固体の話をしましょう」
なんだ。本当に突然である。
「なんでパスタを食べながらその話を……」
「気になって仕方ないんです」
あらそう。
「固体っていったらどういう性質をもってる?」
「んー、かたい……ですか?」
首をかしげながら言う。この日の思い出で一番残っているのは、この首をかしげて髪がさらさらと流れる凛の姿だ。
「じゃあ、その話をするわ。

 そう、そのとおり"かたい"。
 といってもかたいといってもいろいろあるよね?
 そう、お皿みたいに叩いたら割れちゃうタイプと、針金みたいに叩いても曲がるだけ、太さによっては曲げるのも大変、みたいなタイプ。これは実は、結晶のできかたでわりと説明できるのよ。
 ほかにも、固体のもつ性質はいっぱいある。それらは全て、結晶の視点から見ることで統一して理解できる。というか、原子からできていてそれが積み重なって結晶ができているからね。なので結晶構造を理解することは重要なの。
 こんど集まってお勉強するとき、結晶の理解のしかたをやろっか。でも今日は、結晶によってどんな性質が理解できるか、という例をざっくりといろいろ出してみるよ。
 たとえば、さっきの「硬いにもいろいろある」という話。これはまず、イオン結晶と金属結晶で分類できる。イオン結晶はイオンのプラスとマイナスが積み重なってるもの、ってざっくりと言える。これが何らかの力でずれると、こう、クーロン反発で剥がれるわけ。


もちろんもっかいくっつかない理由とかは複雑だろうけど、まあざっくりと、ね。金属はそういうことがないからよく曲がる。
 あと、突然変な物質を出すけど、酸化ホルミウムHo_2O_3とか。こいつはちょっとピンク色をしてるんだけど、電子状態の計算によると白色になるはず。でも実際はピンク色。これは結晶が完璧じゃなくて、ちょっと酸素とかが抜けてるせいでホルミウムの電子状態がずれて色がつくんだ。まず電子状態の計算にも結晶構造が必要だし、しかもそれが完璧な結晶じゃないから色ができる、ということも結晶のことを勉強するとわかる。なので結晶構造を知って、かつ結晶の真の姿としてそういう「不完全な部分」も必要なのよ。人間と同じでしょ?そうでもない?

 ふんふんと、凛は目をきらきらとさせながら聞いている。別に大した話じゃないんだけどなあ。なんとなく目が合い続けているのが嫌で、窓の外を見た。少し雲がある青空を、ツバメかなにかが飛んでいる。
 パスタが来た。
「おいしいですねえ。カルボナーラ」
「トマトソースもいいよ。ふふ」
「せんぱい、なんか嬉しそう」
嬉しいのだろうか。たぶん嬉しいんだろう。好奇心旺盛な黒髪の乙女とショッピングデートだから。
 わたしはトマトソース、凛はカルボナーラ。学生らしいチョイスだろう。ただ、凛は、見た目としては、あまり食べ物を食べるのが似合う感じではない。一番似合うのはコーヒー単体だ。本人はブラックで飲めないのだが。
「そういえばカルボナーラって、炭素と語源が同じじゃない?」
「あ、そうかもしれませんね。さすがせんぱいっ!」
「カルボン酸と同じ。チーズの臭みはそれだから、えっと」
 という調子で、化学の話は進んでいく。しかも、まだショッピングとお月見が残っている。この分だと月も見えそうだ。たぶん最高の一日になる、そんな予感がした。



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手書き風図はもっと徹底すべきだろうなぁ。でも楽だから文字だけ手書きとかいう中途半端になってしまった。

あと、下付き文字はできないのだろうか。しょうがないから都合よくTeX記法で行く。結城先生の文章とか参考にするか。

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