Cross-Reference Engine

 ティム・バーナーズ・リーに敬礼せよ。
 ワールド・ワイド・ウェブも、それを記述しているハイパーテキストとその言語のHTMLも、その"住所"を示すユニフォーム・リソース・ロケータ(URL)も、全て彼によって生み出された。
 ワールド・ワイド・ウェブでは、URLに対し、一方通行のハイパーリンクを指定することができる。ディスプレイ上に作られた二次元平面上で、ハイパーテキストに埋め込まれた情報をちょいちょいっとクリックで呼び出してやると、ネットワークによって電気信号、電波の信号、最近は光信号にもなって情報の断片が積み重ねられ、手元にWebサイトが出てくる。
 この埋め込まれた情報はリンクと呼ばれたりする。リンクの特徴は一方通行であることである。ブラウザにおける「もとのページに戻る」機能は、単にURLを記憶しているだけにすぎない。
 出てこないこともある。その住所にあるものがすでに引き払われたあとのときだ。そういうとき、情報がそもそもその場所に見つかりませんということで、404 not foundが出てくるらしい。一方通行だと引き払われてるかよくわからないので、こういう弊害もある。双方通行なら常に連絡をしあい、引っ越しをしたら自動的に伝えられるのだろう。昔流行った相互リンクというのは、一方通行の道を互いのところに伸ばしているので、本質的な相互通行とは少し違う。
 でも、一方通行のほうのメリットが非常に大きい。常に互いに監視する必要がなくて、必要となったらURLを呼び出して飛んでいけばよい。何よりも、勝手に貼れるのである。
 それにより、より詳しい情報はこちら、と言ってWikipediaという同一の街の別の場所に勝手に参照を貼れるし、街の外にも伸ばして情報はここからもってきましたよ、と貼ることができる。同一のページ内でも、その位置まで飛ばすこともある。
 こういうのを参照という。でも英語はかっこいいので、以降はリファレンスと呼ぶ。とくに同一の書物のなかにおいては、クロス・リファレンスと呼ばれることがある。
 検索エンジンは、街で索引化して、街のなかの住所を索引化して、ということをやっている。そして最近は役に立ちそうなものを上にもってきたりしているらしい。すごい。それとは別に、人は勝手なリファレンスを作り続ける。それを積み重ねる。図書館となる。ホイへ・ルイス・ボルヘス。
 図書館と表現したのは、学術の世界においてはこのリファレンスが当たり前だからである。というか、すでに論じられた問題の場合この参照がついていないと胡散臭いという印象を持たれる。巨人の肩の上に立つと表現されるように、過去の人が残した文献を読んで学習し、そして新たな問題を見つけてそれを解き、文献を残す。近代科学は概ねそうやって発展してきている。
 科学の発展は置いておいて、このリファレンスが作り出す糸の絡みをWebと最初に呼んだ人の感性と表現力にも敬礼をしたい。
 比喩表現の巧みさも置いておいて、人はインターネット空間において勝手にリファレンスを作り続ける。そしてインターネットは、HDDやSSDなどに書き込まれた情報の集まった巨大な書籍である。違うドメインならば違う本では、という意見は無視を決め込むことにする。そして人々は書籍の中でクロス・リファレンスを作り続ける。聖書の脚注なんて目ではない。
 知識を結びつけるということを学習と呼ぶのならば、インターネットは毎日人間によって学習をさせられつづけている。もはやどこが孫引きなのかわからないが、学者たちはどれが原典なのかをほぼ正確に把握しているようだ。それを探すためにScifinderなどのページがある。
 インターネットはクロス・リファレンスの集合体と言っても大きな間違いはないのではないか。それを使い、作る人間たちは、クロス・リファレンス・エンジンの一部である。
 で、語り手の私が誰かというと、そのクロス・リファレンスでつながるページをまた一つ増やそうとこの文章を書いた者である。エンジンの部品である。よくツイッターという場所でクロス・リファレンスを増やしている。



参考文献
円城塔『Self-Reference ENGINE』早川書房 (2007)
伊藤計劃『The Indifference Engine』早川書房(2012)

と、参考文献を示し、インターネットにおけるクロス・リファレンスをまた2つ増やした。

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