推しの救いと最近の精神面を考慮した距離感
2023/02/06
ここ数日私がストーリーで過去の反芻していることについてを考える。
端的にいうと私は推しとの距離感を考える必要に迫られているのだと思う。
私の現在の最推し安藤誠明という存在は、沼に落ちてから今日まで私の人生に計り知れないほどの作用をもたらしている。
誠明がいなかったら私は前職の環境に耐えられていなかっただろうし、
腹筋を割ることも、健康に気をつけることも、本を読んで学びを得て生きようとも、仕事とまともに向き合うということも、転職しようとも、芸能というものに関わって生きようとも考えなかったはずだ。
今私がこうして存在していられるのは間違いなく彼のお陰なのだ。
彼一強というよりかは同時にさまざまな要因が重なったからこそではあるのだけれど、彼を推すことが中心の生活だった無職時代のことを思い出すと、あのみっちりと推しだけに向き合った約10ヶ月は間違いなく私の価値観と人生を180度変えた。
2020年頭、コロナで現場もなければ、その中でそもそも実績ゼロのORβITのためだけに設立されたような事務所が初速からまともな供給を回すことの方が難しい状況で、金は無いが有り余る時間を持て余していた私はとにかく推しのわずかな情報を大事に反芻しながら幻想を妄想するだけを生業としていた。
ヘタリアという一時期4年ほど供給が止まったジャンルで、ファンだけで地産地消するスタイルが完全に身に染みていた私はそれが自分の中でも最も安定した形だった。
だからこそ供給が少ないと嘆くファンの感覚を知れなかったのかもしれない。
推しという存在に対峙する時、やはり幸福と引き換えに相応のストレスがかかる。
精神的な面ももちろんだが金銭面や時間面においてもそれなりのバランスが取れていなければ、自立して生きている限り自分のまともな生活を成り立たせることは叶わない。