見出し画像

人間の逝き方を考える

現在、日本では高齢化のニュースを目にする日々が続いています。日本の高齢化率は(人口のうち65歳以上が占める割合)は1980年では約9%でしたが、2020年時点では28.6%へと急増しているようです。この数字は世界トップの数字で、未曾有の事態になっています。
この数字から見てわかるように、今後は多死社会(多くの方が亡くなっていく)の時代に向かっていき、どのようにしたら、より良い逝き方が実現できるのかを考え、実行していく事が課題になってくると考えられます。日本国民への調査では(人生の最終段階における医療に関する意識調査 報告書 2018年)、人生の最期を迎えたい場所については、約70%の人が自宅と回答しています。しかし、2015年には自宅で亡くなった人は、わずか12.7%であり、人生の最終段階の形が本人の希望と一致していない場合が多い事が分かります。より良い逝き方を実践していく際には、本人が望む場所で最期を迎える事がとても重要な要素になるのではないでしょうか。
もちろん、中には、身寄りがなく、病院や老人施設の方が安心するという人や、様態が悪化した時にすぐにサポートを受けられる病院や老人施設で出来る限り治療を受け最期を迎えたいという人もいると思い、その方々にはそのような選択肢も十分に尊重すべきだと思います。
一方で、住み慣れた地域の中にある、自宅で特別な延命治療を行わずに最期を迎えたいと思いを、社会・医療がもっと尊重して実現していく必要があるのではないかとも思います。では、なぜ現在、「自宅で最期を迎える」という思いが尊重されにくい社会になっているのでしょうか。
その要因になっている一つには、延命至上主義という考え方があります。現在の医師は大学の医学部で、6年かけて命を救うための医学を勉強しています。その間に、より良い逝き方について学ぶ時間はほとんどありません。「どうやって治療して社会復帰させるか」「治らないなら、どうやって現状を維持するか」について日々研究が進み発展しています。このように、助ける事に使命があるわけですから、当然、延命至上主義になります。現代医学にとって「より良い逝き方を考える」という事は、一種の敗北なのです。結果的に、より良い逝き方を考える機会や在宅医療の選択肢が医療者・患者の双方で奪われてしまうのです。
また、現代医学は、専門分野が細分化されています。心臓の専門医、胃の専門医、膵臓の専門医など、現代医学は人をパーツで見ている側面があります。これは決して悪い事ではなく、そのおかげで、医学はここまで進歩し、助けられる命が増えたのも事実です。一方で、高齢の終末期の方は、身体の一部だけが悪くなるという事はあまり見られず、身体全体の内臓の機能が悪くなり、全体を治療して診ていく必要があります。しかし、現代医学では、パーツごとに見ている医師が多く、在宅医療の際に、長期にその患者さん全体を診る事が出来る医師が少なく、終末期の対応が困難という事もあるようです。
その他にも、生と死の境の曖昧化も要因の一つなっているのかもしれません。昔は、さほど、延命の技術は発展していなかった為、患者さん自ら食べ物を食べられなくなったら、人生は終わりと考えられていました。しかし、現代の医学は進歩し、それに伴い、昔では助からなかった命も延命する事が出来るようになりました。その影響で、終末期にいる方やその周りにいる方は、人生の終わりの時期が分からなくなり、ひと昔前だったら、もう人生の最期だから、慣れ親しんだ自宅に戻ろうという事も考えられていた事が、延命の選択が増えた事で、どのような選択をしたらよいか分からず、結果的に病院で治療を続けようと決め、そのまま、病院で延命機器に繋がられ、自宅に戻らず亡くなる方も増えていってしまうのです。

そもそも、病院で延命治療がその人の終末期をより良いものにするのか、しないのか、その答えを出す事は難しいし、人それぞれ違うのかもしれませんし、そもそも答えなんてないのかもしれない。大切な事は、延命治療とは具体的にどのような医療行為を指すのかを知る事、そして、延命治療のメリット・デメリットを把握し、自ら選べる状況がある事なのではないでしょうか。そのような状況がある事で、その人にとって望む逝き方に繋がっていくのだと思います。延命治療には次のような物が挙げられます。
①    輸液 脱水を防ぐ点滴や栄養剤など
②    中心静脈栄養 ①よりも高カロリーな栄養剤などを太い静脈に入れる処 
  置
③    経管栄養 管を直接胃に入れたり、胃に直接穴をあけるなどして栄養を
  入れ込む処置
④    昇圧剤の投与 血圧が下がってきた際に薬剤で上げる処置
⑤    人工呼吸器 呼吸器を装着して呼吸を補助する処置
⑥    蘇生術 心臓マッサージなどの処置

① の方が身体状況の重症度は低く、数字が高くになるにつれ重症度が高くなり⑥が一番重症度が高い。
延命治療をするメリットとしては、命を延ばす事が出来、少しでも多くの事を人生で経験できるチャンスが増える事です。
その一方で延命治療で命を伸ばすために、苦痛(デメリット)もしばしば伴うようです。
病院にいる患者さんの多くは、点滴をしています。身体に本当に必要か必要でないかはさておき、1日に何リットルという水分が定期的に身体の中に入っていきます。実は命を仕舞っていく過程で、ある時期から私たちの身体はそれほど水分を必要としなくなってくるのです。そうなると体内に入った水分は消化吸収されずに、さまざまな問題を引き起こします。まず、余分な水分は痰の材料になってしまいます。痰が増えると呼吸が苦しくなりますから、吸引します。吸引して一時楽になったとしても、痰の材料である水分は点滴でどんどん補充されるため、次々と痰が作られ、常に呼吸が苦しくなってしまいます。
また、それ以外の吸収しきれなかった水分は、サードスペースである、細胞と細胞の間ににじみ出て滞留します。つまり、足や手がパンパンにむくむのです。
また、最期の時が近づけば、どなたも尿やお通じがあまり出なくなるのですが、それでもお腹の中に若干溜まっていて腹部膨満感を感じます。病院では血圧を上げるための昇圧剤が投与されているため、お腹の中に残ったまま最後の時を迎えます。ですから、看護師は「エンゼルケア」といって、ご遺体から余分なものが出ないように、肛門や口、鼻などに詰め物をします。昇圧剤を使用しない場合、肛門や尿動口をはじめとする筋肉がゆるみ、お腹の中の尿や便が一気に亡くなる前に出てくるようです。
また、延命治療をしない事で、弱っていく身体をご本人が感じる事が出来て、死を受け入れていこうとする心の整理がしやすくなる場合もあるとの事です。延命治療をすると、身体に栄養が補充されるので、身体的には満たされるので、死を受け入れる心の整理が上手く出来なくなる事もあるようです。
上記で伝えたメリット・デメリットはほんの一部ですが、このように、延命治療のメリット・デメリットをしっかり伝えたうえで、最期の時に、その患者さんの意思が尊重されることが今後大切になってくると思います。
現段階では、病院での望まない最期を迎える事が多いという現状なのです。

また、研究のデータによると延命治療を決断しなければならない状況の時、本人の80%が意思表示できないと言われています。ですから、前もって、しっかりとした意識がある時に、周りの身寄りの家族や医師の方と、延命治療についてどのようにしていくかを、話していく事が重要になります。また在宅での終末期を迎えたい方は、前もって、かかりつけ医に相談して、在宅医療で診て頂けるか相談したり、もし在宅医療に対応していない場合には、在宅医療を提供している医師などを紹介してもらうなどの事も考えておく必要があるかもしれません。

また、日本の医療・社会がより良い逝き方を支えるための考え方・体制も整えていく必要が出てくると思います。そのためにも、終末期・最期が近い方を対象とした、研究を積み重ね、どのような最期を迎える事が、本人にとって納得できる逝き方なのかの知見を積み重ね、実践していく事が課題になってくるのではないかと思います。そのためにも、医療関係者が日頃から、延命至上主義だけではない幅広い選択肢を提示していく必要があると思います。また終末期に特化した医療者・介護者を育成していき、終末期の患者に寄り添った治療・ケアを向上していく事も今後の課題になってくると思います。そして患者・周りの方も、どのような終末期を迎える事が自分にとって、納得できるのかを主体的に考えていく事が大切になるのではないでしょうか。そのような、文化を醸成するためにも、社会が終末期に関して啓発して活動していくと共に、各個人が終末期の生き方を見据える視点を培っていく必要があるのかもしれません。

一方で終末期を納得する事は、簡単な事でなく、そもそも「納得する事」に仕向けること自体が間違っているという考え方もあるかもしれません。
人生の日々に満足・納得できない人が、人生の最期に納得する事は更に難しい事だと思うのです。ですから、私たちが出来る事は日本の平均寿命が90歳近くを迎えた現代では、定年退職後の65歳以降の生き方を充実した生き方をしていく事が、終末期の死を受け入れていく小さな一助になるのではないであろうかと思います。
65歳以上の生き方を充実させるためには、世界保健機関(WHO)が提唱する健康の定義である「身体的・精神的・社会的に満たされている状態」を目指していく事が大切になると感じます。その為には、身体機能をある程度の状態を維持するために、リハビリやトレーニング、ウォーキングを日々行ったり、定年退職後に社会参加できる、就労の場やボランティアの場、地域活動の場を確保していく事が重要になり、身体機能や社会参加をする事が、精神的な健康にも繋がるのだと思います。また、老化は止められないので、必要に応じて、支援を柔軟に受けいれ生活していく、受援能力を身につけていく必要もあるのではないかと思います。

昨今では、アンチエイジングなど、歳をとっていく事に対して、目を向けなかったり、遠ざけているような社会もみられますが、死をタブー化せずに、向き合う時間を確保していく事が今後の日本で必要になってくるのではないでしょうか。
 
最期まで読んで頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?