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勝ちへの欲求と幸福の追求

 GW中から連続した大型大会の嵐も去りひと段落着いた心地の最近ですが、また一息つくと大会がやってくる、早い。途切れることなく戦いの渦にもまれる事ができるのもひとえに大会開催に熱を持ってくれる人たちがいるからです、ありがとうございます。大会にはただ一人勝利の栄冠を得るものが一方でほぼ全てが敗北の辛酸を噛み締めて何物でもなく去っていく人たちで構成されるわけです。誰かが言ったか1位とそれ以下の順位、2位以下は全て同一順位、敗北者と表していました。ザクレイだったかKENだったっけな、しゅーとんは幾度の平日や大人数の大会を優勝しながらも、大規模大会を連続準優勝で収めたことを苦しみだと言い表していました。厳しい言葉ですが視座がこのようにあるからこそ頂点を争い手が届くのかもしれません。
 たった一つの名誉を冠する為に幾度も苦しみにもがきながら、刹那的な勝負の場に自身を駆り立てるのは時に破滅的な結果をもたらすかもしれません。元々は娯楽であり、余暇を満足して楽しむツールであるゲームで時に苦しみや痛みを伴うのはなんだか矛盾していてバカげているのかもしれない。であるならば他者と競い合うことには手を出さずに生活を幸福にする遊びとして箱庭に留めているのが賢いと言えなくもない。元々の始まりは友達との遊びの場で勝った負けたから始まった物なのですから。ネットの各所で時折起こりうるエンジョイとガチ(あまり適した定義でないのかもしれないですが)との対立という火種も根底に根付いたものが異なるわけで、折り合いをつける事はできるでしょうがどっちに優劣はないのです。幸福がどこにあるというのは主観の問題であり、個人と環境に依存するもので絶対的価値観にはならないので。たった一つの結果に全てをかけて、捨てられ世界に苦痛を強いられるなんて一昔じゃ考えられない。
 持続する幸福があるにも関わらず刹那的な勝利を欲求するのはなんでだろうか。勝敗を分かつ対戦ゲームである以上、勝敗を競い合って勝利を求めるのは絶対条件であってこれをごまかしてしまうと前提が崩れてしまうように思う。そこを楽しめるのだからと勝ち負けに拘泥せずに結果に満足しようと目を伏せる事は、例え負けが苦しみで耐えがたい物であっても欺瞞を感じてしまう。そういう人種なんでしょう。意味は違うけどダイの大冒険でフレイザードがこぼした戦う事でなく勝つことが好きという言葉が当てはまるのかもしれない。目の前にどうぞと差し出された幸福すら自分の求めるものと違ったらしゃくにさわって受け取らない変な人間。
 素直に受け入れるよう変容できればいいのですが、恐ろしいほどの熱度ときらめきを放って消える様な勝利の快楽を求めてしまう。夢のごとく掴んでしまったものが次には消えてしまうし、そもそもの足場ごと地底に沈む可能性すらあります。でもそれが暗い態度でなく前向きであるならば、鳴りやむことのない快楽、勝利の渇望を受け入れても良いんじゃないか。


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