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生きてるセミと死んだセミの見分け方

 気温が20度を超えて過ごしやすい春になってきました。春は好きです、日の光が暖かく空気が満ちているようで日光に照らされることで得られるセロトニンも心なしか普段より分泌されているように思います。季節の中でいうならば空気が乾いて思考が纏まりやすい秋の次に好きです。最近は夏と冬が占める時間が多くなってどちらもすぐに去っていく儚さすら感じますが。冬、夏と冬だけになったらどうなるんだろう。冬はタバコと一緒に冷えた空気で肺を満たすのが気持ちよく嫌いではないが、手足の感覚がじんと痺れて身体的感覚が鈍くなるのが苦手。夏は言うに及ばず、代謝が著しく空気も湿気にまみれ空気が匂いや様々なもので満ちているようで嫌になる。なるべく春と秋は頑張ってほしい。自分と世界の為に。
 春は好きなんですが丁度この季節になると跋扈するものが。春のポカポカさには虫さん達も目を覚まさないでいられない。昔は虫に抵抗はなかったのですが、いつからか苦手になってしまいました。よっぽど有害か奇怪なものを拒むだけでなく、羽虫やカマキリ、果てはセミなども苦手に。甲虫に感じた力強さ、節足に見た複雑奇怪さへの羨望は恐ろしさに変貌。道端に落ちている生死不明なセミが突如起き上がって奇襲してくるのなんてリアルバイオハザードでしかないわけです。ゾンビの仲間にならないために脚が閉じていたら大体死んでいて、開いていたら生きているから要注意なんて情報を仕入れて必死に逃げ惑う日々。足が閉じている奴は死んだセミだ、閉じてない奴はよく訓練された生きたセミだ。ほんと夏場は地獄だぜ。ただ不思議なことに死んでしまった虫や、標本となった虫には比較的抵抗がありません。呼吸や代謝を行わず、生命でなくなった物と命がある物で線がくっきり別れている。虫が苦手になったのは力強く生物である事を感じさせるそのシルエットから、あまりにも生々しく異なる命である事を感じて怖くなったのかもしれないですね。
 ちなみに住んでいる家のちょうど目の前では家庭園芸を広げていく民家が隣接しています。緑が多い事は目にも良い事ですが、育て伸びる事に興味は無いらしく置いた傍から手入れはほどほどに。買っては置いてを繰り返し、広がり満ちる野放図なテーマパークに虫達も歓喜の渦に。晴れて我が家は野生の虫たちと触れあれる機会を多く手に入れる事が出来たのです。泣いた。
 

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