見出し画像

同じことばっかやってちゃダメだって話

 自分は筋トレをしてますが、きっかけはシャツに浮き出る胸筋がカッケー!というヒーローに憧れる少年と同じ理由です。最近筋肉が伸び悩んでいたので筋肉マッチョマンな人に相談した所、同じ事ばかりでなく工夫して色んな刺激を筋肉に与えるのが大事と言われました。

 正しく決めたことの反復だけでは駄目で、工夫して変化を与えないといけないなんて人間、めんどくせ~~~。サボらず続けても良い成長曲線が描かれなかった理由がこれか。けれど思い返すと筋トレだけでなく今まで過ごしてきて勉強や果ては趣味のゲームでも、成長の為には反復作業以外にも確かに工夫や変化が不可欠であった気がします。
  解を導くために公式や解法を覚えるだけでなく複数絡めたり多角的な想像力を養うと全体解が浮かび上がる。単一労働を単純消化するのではなく、法則性を見つけたり効率良くこなすために新しく学んだり別業務の経験を応用したり。ゲームでもキャラの最も強い行動の反復が最適解である。また自分は練習したこのキャラしか使えないから他のキャラは使えない、使わないと固執したこともありました。でも固執をやめて色んなキャラを触ったり、同キャラで違った使い方をする人を参考にした方が実力を向上させられたと思います。一つの対戦でも事を有利に運べる行動を基本としつつも、時に人や状況に合わせ行動を変化させた方が強いと思います。

 そもそも問題を解決するために必要な知識を探して来たり、情報を横断して役立つ能力を身に着けようとする学習行為が最も尊いのかも~。学びが有用かそうでないかは外からは見えないし、触ってこそ意味や自分が想像していなかった発見が落ちてるのでとりあえず触ったもん試したもんがちです。やれば+にも-にもなるけれどやらなければ0なのだ。


 最適な方法を確立し反復するのは大事ですが絶対解と考えず常に変化や応用を加える工夫や、本当に最適かと疑問を投げかけて学びを続けるのも同じぐらい大事かもしれません。

 ただ同じ事に慣れてしまうというのは環境変化に適合できる人間の強さであるかもしれないですね。幼少期酷かった乗り物酔いが今では全く起きない事とか。二郎を普通に食べれるようになったとか。

 
 何かあるとすぐ自分はゲームではこうした、こう考えてきたなんて重ね合わせててゲームに頭を侵食されてるやばおくんじゃんと自戒に陥ります。物事をゲーム体験に照らし噛み砕いて理解するのは、一時期揶揄されたゲーム脳なのかもです。でもそれと同時にゲームで抽象として知見を得てきたりメソッドを確立できてるからだったら良いですね。

あなたのサポートが、一杯のコーヒー