欠陥人間

2019年、軽度のうつ病と診断された時に書いていた文章を発見した。(今は回復して、元気です)
当時は自分のことを、病気じゃないのに甘えているだけの人間だと本気で思っていたけれど、こうやって過去に書いた文章を読んでいると明らかに病んでいるように見える。

もしこれを読む人で、同じような状況で、同じように自分を追い詰めている人がいたら、ここに書いてあることに共感したのだとしたら、あなたは休んで良い。甘えているだけのダメ人間だなんて、どうか思わないでほしい。
当時の私に、そして当時の私と似たような人に、微力ながらそれが伝えられればと思い、公開します。

以下、当時の原文ママ


軽度のうつ病と診断されて早3ヶ月。
しばらく過ごしてみて思うことは、わたしは人間として生まれるべきではなかったということだ。
自分はうつというものからもっともかけ離れた人間だと思っていた。

明るくて社交的と周りから言われ、大学はギリギリの出席にギリギリの単位。のらりくらりと適当に生きてきた。
金銭的にも家庭的にも、裕福ではなくとも平凡で、放任主義な親のおかげで楽しく暮らせていた。
イージーモードだな、と思う。

学校に行くのが辛くなった。
課題をするのが辛くなった。
バイトに行くのが辛くなった。
ご飯が喉を通らなくなった。
髪の毛が一部分抜け落ちて、いわゆる10円ハゲになった。
なにもかも、生きていることが辛くてたまらなかった。
馬鹿らしいと思う。そんなことでつらいって、本当に馬鹿みたいだと思う。
わたしよりもずっと大変なのに、一生懸命こなしている人がごまんといることなんて分かっている。甘えとしか思えない症状なのも分かっている。
それでも辛くて、身体が動かなかったのだ。お医者さんは「軽度のうつ病ですね」と言った。

あの初診から3ヶ月。
冬休みに思いっきり休んでかなり良くなったと思っていたけれど、大学がはじまる数日前からガクンと情緒が不安定になった。我ながら素直すぎる身体で笑えてくる。

最初は「生きていてくれるだけで良い」と言ってくれていた母も、訝しげに「いつ治るんだろう?」「普通の人だって働いたり学校に行ったりするのは嫌でしょう。それと何が違うんだろう?」と問いかけてくる。
暗に”甘えてるんじゃないのか”と言われているなあと思うと、お腹の奥底がずっしり重くなる。
それはわたし自身、何度も自問自答していることである。

インターネットで「うつ病」と検索すると、わたしよりもずっとずっと大変そうな人たちの話がわんさか出てくる。それを見ると、自分の辛さなんてほんのちっぽけなものに思えるし、事実そうだろう。
だからこれは、学校に行きたくないのは、バイトに行きたくないのは、嫌だと思うことに指が動かないのは、きっと甘えなんだと思う。
わたしが「つらい」と言うんだから、お医者さんはうつと診断するしかないけれど、事実病気でもなんでもないんだと思う。最初はそうでも、今はもうとっくに治っていて、もはや甘えているだけなんだと思う。

けれども甘えと分かったところで、学校に行くことが、バイトに行くことが、嫌で嫌で、つらくて、身体が重くなることが解決するわけではない。
無理やり動けと言われても動かないのだから、最早笑うしかない。
情けないと思う。こんなことで立ち止まってしまう自分が。

「みんな辛いんだよ」その通りです。
「それでも頑張ってるんだよ」でもわたしは頑張れないんです。

その時わたしの中に出た結論が、わたしは人間に生まれるべきじゃあなかったな、ということである。
みんなが耐えて越えていけることでつまづいてしまうわたしは、精神的な容量が人の数倍小さいんだと思う。きっと、ヒトと比べてはいけないくらいに。
わたしは、ハムスターとかそういう小さな動物に生まれるべき魂であったのに、きっと手違いでヒトの器に入ってしまったのだ。
スピリチュアルな話はまったく信じていないわたしだけれど、もはやそうとしか思えない。

そうじゃなければ、わたしという人間は、あまりに欠陥品にすぎるのだ。
家族に、友だちに、教授に、バイト先の人たちに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

ヒトの形をしているばっかりに、ヒトとしての機能を期待させてしまう。生存という低い低いハードルですらくぐれないこの精神が、情けなくって仕方ない。

「みんなつらいけど頑張っているよ」
それでもわたしは頑張れません。ヒトの形をしているせいで、安易に死すら選べず、今日も泣きながら生きています。

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