青春は残酷だ。

 カラオケが苦手だ。

 地元に帰ったときに、友人2人とカラオケに行った。その内1人が大事の後だということでそいつが好きなカラオケをオールナイトすることにした。
 カラオケで夜のフリータイムを選択し、指定された部屋に入るとまもなく1人目が電目で曲を入れ、歌い始める。歌が終わる前に2人目が曲を入れ、間髪なく歌い始める。そしてまた終わる前に自分が曲を入れ歌う。これを何時間も繰り返す僕らのストロングカラオケが始まった。
 この空間に甘えの文字はない。ただ、自分の入れた曲に向き合い、励み、情熱を注ぎ込む。ただ下手な場合を除いて。
 僕はネタ枠として成り下がる。致命的なのは、声の低さだ。それでも低いキーで歌えばいいのだが、そこは気持ちの問題で盛り上がっているような感じ方をしない。そして自分がうまく歌える曲が限られてくる。玉置浩二の「田園」か福山雅治の「桜坂」しかない。
 もしくは、本人映像を流すという方法もある。私は、くるりやサニーデイ・サービスが好きなのだが、友人は知らないので、RADWIMPSやVaundyや藤井風のライブ映像を流す。毎ターンそれでいくと、また映像かという空気になるので歌える曲を入れるのだが、友人と曲の好みが違うので、世代で人気だった曲を調べ、さらに背景映像が本人やMVのものを選ぶことで心を保たせる。
 斉唱を促すという方法もある。大事MANブラザーズバンドの「それが大事」を入れ、みんなで一緒に歌うよう仕掛けるのだが、『負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、ダメになりそうなときそれが一番大事。』という部分のループがかなりの回数続き、そこが耐えられなくなることがあるので注意が必要だ。
 このようなストロングカラオケなので、カラオケ界ではタブーとされている日本語ラップを歌ってみたかった。好奇心だった。ただそれだけだ。どうなるかも分かってる。それでも止められなかった。 後悔した。分かっていたのだけれど、分かっていたのだけれど。

 カラオケが苦手だ。原曲をそのまま流すのではなく、カラオケの伴奏用にアレンジされていることに違和感を感じる。本当に聴いてほしい歌はしっかり原曲とその歌手の声で聴いてほしいので、初めて聴いた曲に自分が写り込まないでほしい。だが、人におすすめした音楽を聴いてもらうのは、女の子に「私太った?」と聞かれたときの返答ぐらい難しいので、強制的に聴かせるにはカラオケで歌うしかない。知らない人の本人映像を流すほどの勇気もない。

 夜明け前、カラオケを出て岬まで車を走らせる。車内では自分の好きな音楽が流れている。岬の先で日の出を待つ。空には雲が染み渡っている。隣には友がいる。水平線まで広がる雲の隙間に、明るい陽光が見えた気がした。
 


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