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#4 多文化共生の難しさ。

国際交流、グローバル化、多文化共生。
2020年の東京オリンピック開催へのムードの高まりもあってか、頻繁に耳にするようになった言葉たちです。最近、この言葉にしてしまえば簡単でキラキラして聞こえる国際交流や多文化共生について考えるところがあったので、シェアしたいなと思いました。

まず、私は現在大学生で、「国際交流サークル」なるものに所属しています。このサークルでの主な活動内容は、日本人学生と留学生が交流できる場を様々な形で設けること。日本文化はもちろん、他の国や文化をテーマにしたパーティーを開催したり、普段から日本人学生も留学生も自由に使えるスペースでみんなでご飯を食べたり、いろんな文化や背景をもつ人たちが常にミックスされている状態です。

このサークルに私が入って一年目、12月に開催するパーティーを何にするかという話し合いで当然のようにクリスマスパーティーを挙げると、クリスマスはキリスト教の文化であり、様々な宗教をもつ学生が集まるこのサークルの主催でクリスマスを祝うことはできない、とのこと。これに私は若干違和感を感じたのですが、この時はその説明も一理あると納得し、受け流しました。

その半年後、同サークルで BBQをやろうという案が出ました。準備を進めていたのですが、ここで問題が。開催予定日に設定していた日がイスラム教のラマダン(断食)の週に重なっていたのです。国際交流を謳うサークル主催のBBQイベントをラマダン中に大々的にやるのは如何なものか。真っ当な意見といえばそうなのかもしれませんが、なんとなくモヤモヤしたものが私の中に残りました。

クリスマスイベントもそうですが、この2つの出来事に共通しているのは、どれかの宗教や宗教的価値観に合わせて他の文化を打ち消そうとしているということです。なんとなく、イスラム教が扱いづらい宗教のような印象を受けるのはなぜでしょうか。イスラム教の文化はそこまで日本人に馴染んでおらず、日本におけるムスリムの人口が少ないことも相まってか、腫れ物を触るようにイスラム教にやたらに気を使っている気がします。クリスマスやハロウィンはキリスト教由来のイベントですが、今日では日本にかなり浸透していて、もはや日本の行事でもあるといっても過言ではないはずなのに、他の宗教にはない文化だから、という理由でそれを打ち消してしまっている。多文化交流を目的として活動しているはずなのに、本末転倒ではないでしょうか。

この出来事を経て、どうすれば文化同士の衝突を避けて多文化交流を成立させることができるのか、という問題に帰着しました。
私の中で出た一つの答えは、”文化の足し算”です。例えば、イスラム教では豚、ヒンドゥー教では牛を食べてはいけないという戒律があるなら、そのどちらの信者でも食べることのできる鶏や魚介類を足す。キリスト教のイベントだけを取り上げることに問題があるなら、イスラムや仏教、ヒンドゥー教のイベントも取り上げる。ベジタリアンがいるなら、お肉や魚に加えて野菜の料理の品数も増やす。どんな文化的背景を持っている人がそこにいても、みんながそれぞれのスタイルを守っていけるように、選択肢を幅広く用意するという、”文化の足し算”が一番大切なのではないか、という結論に至りました。

日本人は基本的に”ウチ”と”ソト”を分ける文化を持っています。”ウチ”の人には厳しく、”ソト”の人にはできる限りのおもてなしをします。恐らく、日本にあまり浸透していないイスラム教やヒンドゥー教の文化を”ソト”と捉え、気を悪くしないようそちらに合わせようとする心理が働いて、今回のような一つの文化に合わせようとする出来事が起こったのだと思います。だけど、多文化共生って本当はそういうことじゃなくて、みんな”ウチ”の人間として同等に扱う、共生することが大切なのではないでしょうか。そうでなければ、いつまでも他国の文化は日本にとって”ソト”で日本人はへりくだっておもてなしし、日本は他国にとって”ソト”であり続けるように思います。”ウチ”と”ソト”の考えを打ち砕き、本当の意味で日本で多文化が共生する日は、東京オリンピックまでに来るでしょうか。

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