どんな音楽も聴きたくない時ほど普段聴かない音楽がしっくりくる日がある

許されていたことを考える

子供の頃、
小学校4年生くらいまでに続けていたこと、
小学校4年生を境にやめてしまったことがある

手を離したらするすると飛んでいってしまう風船を買ってもらったり、何かをきっかけにもらった時、
私は自宅に持ち帰ると植物の種と手紙を紐にくくり付けて空に放っていた

「この風船をひろった人へ

こんにちは、私は栃木県にすむ女の子です

ひろってくれてありがとう

お花の種をおくります

よかったら育ててね」

そんな手紙を添えて、わたしは風船を2階のベランダから空に放っていた

母はいつも
どんな人に届くだろうね
と言いながら、
一緒に文章を考えてくれて
空に放つときには一緒に手を握ってた

ある時、何かのきっかけで女の子か男の子か、もうどんな顔をしていたかも思い出せないけど
この話をした時

落ちたらゴミになるじゃん
拾う人がいなかったらどうするの?

と言われた

そうか、
わたしはこの風船はてっきり必ず誰かに届くものだと思っていたし
ふわふわと漂う風船が種と手紙を運んできたらそれは嬉しいものだと思っていたけど

そんな感想が真っ先に出てくる人もいるのか
と思った

わたしがしていた行動は
そんな考えを持つ人から許されていた行動だった
ひどく落ち込んだ

善意が、誰かの許しの上で存在しているのは
こんなにも悲しいのかと思った

それからわたしは風船を飛ばすことも
風船を買ってもらうことも無くなってしまった

許されていたことを考える
許してきたことを考える

わたしが何気なく放った言葉が
誰かの風船を奪ってしまっていなかったか

許されてきたこと、許してきたこと
私たちはどっちが多いだろう

そんなことを考えながら
ベランダでタバコを吸っている
ふわふわと煙が宵にむかって漂って
この漂いの正体は隣人も管理会社も許してはくれないだろうと納得している

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