【コラム】プロキシはいかにして根付いたか
カードゲームで遊ぶためのカードの代用品、通称「プロキシ」。
カードをカラーコピーし、別のカードを台紙にしてスリーブに挟み込んだものがお馴染みかと思います。
ポケモンカードコミュニティにおいて、プロキシは日常的に使用されています。
しかし、今や当たり前になっているこの状況も、一朝一夕に成立したものではありません。
そして、後述しますが、他のカードゲームのコミュニティとも文化の違いがあるようなのです。
本稿では、ポケモンカードコミュニティにおけるプロキシの作成・使用を取り巻く歴史を振り返ってみたいと思います。
尚、プロキシの是非とかいうきな臭い話については一旦置いておきましょう。
僕個人としてはどちらかと言えばプロキシについて否定的な考えを持っているのですが、人には人の乳酸菌。
視点の偏りは出るかと思いますが、なるべくフラットに綴っていくよう心がけます。
そのつもりでお読みいただけると助かります。
レッツ ゴー!
ポケモンカードコミュニティにおけるプロキシの現状
対戦動画で使われるプロキシ
ここ数年、YouTubeにはポケモンカードの対戦動画が多数投稿されていますが、特に発売前のカードが発表された際等に、カラーコピーによるプロキシが使われているものが珍しくありません。
このような状況について、行弘賢さんがポケモンカードコミュニティとマジック:ザ・ギャザリング(以下「MTG」)コミュニティの文化の違いに触れて下記のようにコメントされています。
行弘賢さんはMTGのプロプレイヤーとして有名ですが、古くはポケモンカードにおいてもWCS2005のFifteen and Over Divisionにおいて4位の成績を残す等活躍されており、どちらのコミュニティについても造詣の深い方です。
(参考:行弘賢)
また、ZweiLanceさんも同じくポケモンカードコミュニティとDMコミュニティの違いについて下記のようにコメントされています。
ZweiLanceさんはデュエルマスターズ(以下、「DM」)を2005年からプレイされているかなりのベテラン強豪プレイヤーです。
(参考:DMGP8th DAY2:プレイヤーインタビュー ZweiLance選手)
YouTubeの個人チャンネルという、私的であってもオープンなメディアでプロキシが使用されている状況については予てから僕も違和感を覚えていましたが、この例を見るにやはり他のカードゲームのコミュニティとは違った事情がありそうです。
それは、対戦動画より歴史の長い自主大会の影響であると自分は考えています。
大会で使われるプロキシ
ポケモンカードでは、フロアルールにおいてプロキシに相当するカードの使用が禁止されています。
しかし、特に非公認の自主大会においてはプロキシの使用が許可されていることが多いです。また、店舗主催の自主大会であっても非公認である場合は同様です。
形式としては色と文面が判別可能なカラーコピーが指定されていることが多く、条件としては発売前のものや発売後一定期間内のもの、絶版のものに限る等が設定されている場合もあります。
他のカードゲームコミュニティにおいてどのようなコモンセンスが形成されているのかについては、恥ずかしながら僕はあまりよく把握していません。
ポケモンカードがあらゆる面で大きな影響を受けているMTGですが、そちらのコミュニティにおいては、少なくとも自主大会レベルでのプロキシの使用は一般的であるようです。
(参考:【MTG】このゲームはプロキシが許可される未来から逃れられない)
ちなみに、ポケモンカードコミュニティで「代理カード」「代用カード」が「プロキシ」という言葉で表現されるのが定着したのも、「マリガン」や「メタゲーム」等他のMTG用語が流入したのと同時期です。
(参考:プロキシ - MTG Wiki)
また、公認自主大会においてはフロアルールとオーガナイザー規約に沿って「プロキシは使用禁止」と明示されている場合が殆どですし、公認店舗大会(ジムバトル)においてもフロアルールに沿って許可されていないですが、一部で慣例的にプロキシの使用が許可されているケースも見受けられます。
(参考:ジムチャレで、プロキシカードを、使用して良いのか?)
言わずもがな、株式会社ポケモンが主催する公式大会においては、プロキシの使用は許可されていません。
意図せずデッキにプロキシが入っていて失格になるケースを稀に見聞きします。
私的な場面で使用されるプロキシ
家庭内や友人同士での私的な場面の対戦においては、プロキシの使用は一般的です。
形式としては、自主大会等で見られるようなものに加え、カードの名前やイラスト・テキスト等を白紙や任意のカードにフリーハンドで書いた簡素なものが用いられます。
参考として、ここで『究極ゲーム攻略全集 Vol.8』という本を紹介しておきます。
この本は公式な組織の監修を受けておらず、プロキシに言及している珍しい本です。
ポケアドの寺師カズキさんがプロキシについて下記のように紹介されており、この本の発行時点でのプロキシの認知度を伺い知ることができます(2023年現在も大きく変わっていないはずです)。
デジタルプロキシである対戦シミュレータ
ポケモンカードに関しては古くから様々な対戦シミュレータが開発されており、これは電子化されたプロキシと捉えることもできるでしょう。
対戦シミュレータとプロキシの関係については、本稿では存在への言及に留めておきます。
ポケモンカードコミュニティにプロキシが根付くまで
ポケモンカード発売直後(1990年代後半)
ポケモンカードが発売された1996年当時、既にプロキシは作成可能な状態ではありました。
しかし、僕個人がこの時代のプレイヤー達の話を聞く限り、少なくとも現在のようなプロキシが作成・使用されていたという話は聞いたことがありません。
まず、プロキシを使用すべき場面がほとんどありませんでした。
発売当初のポケモンカードは小学生中心のホビーであり、通常はクローズドな場面において単に手元にあるカードで遊ぶ以上の発想はなかったことでしょう。
公式大会や自主大会は現在に比べると不定期かつ小規模で、「練習」のような場面も必然的に少なかったはずです。
また、現在のようなカラーコピーでのプロキシの作成には高いハードルがありました。
まず、インターネットや書籍などのメディアに画像が掲載されることがほとんどなかったため、カードの画像を入手するのが困難でした。
パソコン・スキャナ・プリンター・インターネットという各種電子機器や通信インフラが発展・普及途上だったため、自力でカードのコピーを取るのも困難でした。
また、カードそのものを入手するのに便利なカードショップやネットオークションも発展途上だったため、コピーを取るための原本となるカードの入手自体それなりに難易度が高かったことも付け加えておきます。
プリントアウトしたものをプロキシとして運用するためのスリーブが今ほど流通していなかったというのも忘れないでおきたいとことです。
とは言え、技術的に可能な範囲でプロキシ相当のものはどこかで使われていたことでしょう。
少なくとも、不要なカードを別のカードとして扱うようなことはできました。
「リザード」に「ン」を書き足して「リザードン」の代わりにしたりとかね。
プロキシとは異なりますが、手書きでオリジナルのカードを作った子供達も沢山いました。
初期のプロキシ(2000年代前半)
プロキシは徐々にポケモンカードコミュニティに普及していきます。
1995年にWindows95が発売された後、2000年に「IT革命」が新語・流行語大賞を受賞。
また、ポケモンカードにおいては、1999年の初の公式スリーブ「デッキシールドインターナショナル」発売を機にスリーブの普及が加速、2001年には高校生以上を対象にマスターリーグが開設。
プレイヤーの年齢層が拡大してトーナメント志向も高まり、プロキシの需要と共に技術的なハードルもクリアされていったのです。
若干話が逸れますが、カラーコピーがまだ珍しかった時代は、カラーコピーによって偽造されたカードを用いたトレード詐欺という事件も起きていました。
下記に、2001年2月から3月にかけて行われた「バトル★ネオ スプリングロード」のイベント案内のパンフレットの注意書きを示します。
文頭に「最近」とあるのが注目すべきポイントです。
偽造カードについては、粗悪なため一目で偽物とわかる「縁日レア」が初期から流通していましたが、カラープリンタで出力したものを丁寧に貼り付けたものが丁度この2000年前後に流通していました。
特殊な加工のされていない所謂「ノンキラ」のものが、未開封等でフィルム越しだと、一見して偽物だとわからないケースがあったとか。
今から考えるとそんな馬鹿な話があるわけがないと思いますが、実際にトレードに応じてしまったという人に実物を見せてもらったことがあります。
何でこんな話をしたかと言うと、この時期はそれくらいカラーコピーが珍しかったということが言いたいのです。
この時期の自主大会では、プロキシの存在を考慮しておらず、イベント要綱ではプロキシの使用可否に言及していたりしていなかったりしました。
強いて言えば、「オリジナルカード」等を作って遊ぶような、所謂二次創作に強い界隈では対応は早かったように思います。
「こだわりジム」(東京、2000年~、主催:たけあゆ)では、「オリジナルカード」の使用が禁止される一方で「ジャンボカード」に限ってプロキシの使用が許可されています。
自主大会とプロキシの普及(2000年代後半)
プロキシに関してパラダイムシフトが起きたのは2000年代後半です。
2004年のWCS2004における日本代表の大躍進の後、2000年代後半にかけては所謂「親子プレイヤー」や家族単位で取り組む人達が目立ち始めました。
「NHPジム」(2007~、大阪、主催:ルカリオT)のイベント要綱においてプロキシへの言及があったので紹介しておきます。
オープンな場で手書きのプロキシが許容されていたことが推察できる稀有な例です。
親子プレイヤー中心のイベントではないのですが、「ばとるろ~ど横浜」(2008~、神奈川、主催:鳥使いLANGE)では、トーナメントにおいてプロキシの使用が禁止されています。
2000年代はまだプロキシに対して「プロキシ」という言葉を使わず「代理カード」「代用カード」とのみ記載しているケースも多いです。
そう言えば「プロシキ」だと思っている人なんかもいましたね。
ロシア料理かよ。
それはピロシキ。
さて、日本中で最もカードゲームが盛んな首都圏においては、MTGプレイヤーであった父親達によってサークルが結成され、小規模ながら全国的に存在感を発揮しました。
「スナバジム」(2006~、東京、主催:にーだ)、「ガルーラジム」(2006~、東京、主催:大谷龍)の2つがそれに該当します。
これらの「ジム」のイベントは、主にトーナメントシーンを意識した子供達のための大人を交えた練習会のようなもので、多いときでも20人程度が通例だったかと記憶しています。
ここでは、MTGコミュニティの流れを汲み、練習のためのプロキシの使用は許可されていました。
特にガルーラジムの方のイベント要綱でプロキシに関する規定が明記されており、また発売前のカードのカラーコピーの使用を許可したのもここが最初だったと記憶しているのですが、文面がサルベージできませでした。
参考としてスナバジムのにーださんのツイートを下記に引用させていただきます。
こういった親子プレイヤー主催のコミュニティやイベントは全国の他の都市部にも同時多発的に興り、家族分のデッキ単位で現物のカードを揃えるのは現実的に難しいという建前もあり、それと共にプロキシの使用機会も増えていきました。
中でも、2009年に愛知県で第1回が開催された「ゴールド・ギャラドスカップ(通称「金ギャラ」)」は一つのターニングポイントとなりました。
「ローカルジム」というキーワードを掲げた地域密着型のイベントで、大勢の大人達によって運営が組織化され、またエクセルを用いてスコア集計が自動化され、これまでには考えられなかった大規模なスイスドローが運営可能になったというのがこのイベントの特長です。
参加人数は優に100人を超え、開催の度に全国からプレイヤーが集結するようになりました。
とーしん選手が優勝した第67回大会等は、現在のトーナメントシーンをある程度追っている人なら参加者リストを見るだけでこのイベントの盛り上がりが想像できるかと思います。
(参考:第2回GGC Mega Battle(第67回GGC) -大会結果報告-20160703)
これまでには考えられなかったほど大規模化・ハイレベル化した金ギャラ杯ですが、飽くまでも「招待制の練習会」という形式は堅持されており、その中でプロキシの使用は許容されていました。
以下は、第1回大会のイベント要綱からの引用です。
金ギャラ杯のノウハウは全国に展開され、当時としては大規模な自主大会が各地に興りました。
東京の「おーす!みらいのチャンピオン杯(通称「みらチャン杯」)」は、先述の「スナバジム」や「金ギャラ杯」の直接的な協力を受けて大きな成功を収めた例です。
プロキシについてもイベント要綱に明記されており、文面からも金ギャラドス杯の影響が伺えます。
もちろん、この他の地方でも、その先の時代でも、成功例を元に数々のイベントが生み出され、多くの強豪プレイヤーが育ちました。
その中には、現在も目立った活躍を見せてくれているプレイヤーが数多くいます。
そして、かつてフリー対戦等のクローズドな場面、そして小規模のイベントや招待制のイベントという比較的まだクローズドな場面で文化的なハードルを伴って限定的に使われていたプロキシは、そのまま後発の大規模でオープンな場面でも使われるに至りました。
ポケモンカードのコミュニティにおいてプロキシがオープンな場でも使用されている背景にはこの辺りの自主大会文化の影響があり、更にその背景には子供達と共にその親もターゲットにしているというポケモンカードの商品設計があった、というのが自分の見立てです。
ちなみに、僕自身はポケモンカードのイベントを2002年から不定期且つ小規模に開催しています。
自分のイベントではプロキシの存在を考慮していなかったので、特に使用可否について明記しないままだったのですが、この2010年代前半頃にはプロキシが使えるかどうかの問い合わせや、「自主大会なのにプロキシが使えないのはおかしい」というご意見を複数件頂戴したことがあります。
そんなこと言われてもな。
一方そのころ旧裏界隈のプロキシ(2000年代後半)
先述のトーナメント志向の自主大会コミュニティとの間の影響は不明ですが、所謂「過去レギュ」コミュニティにおいてもプロキシの使用を許容する流れが同じく2000年代後半から出てきているようです。
「旧版ポケモンカード愛好会 関西オフ」(2008~、大阪、主催:ソラ)では、2009年10月5日の第7回にようやくプロキシの使用が解禁されています。
絶版カードで遊ぶためのイベントはプロキシの使用がほぼほぼ不可欠だと思っていたので、これはちょっと意外ですね。
まとめ
ざっくり言うと、技術的ハードルと文化的ハードルがあって、それらを順番に乗り越えていった結果がこのハッピープロキシ刷り放題ライフである、というイメージを持っていただければ自分としては満足です。
他の視点からのご意見もやさしく教えていただけると楽しくてよいかと思います。
あと、エプソンの「カラリオ」の発売が1995年だとか、セブンイレブンのカラーコピーのサービス開始が1996年だとか、ヤフオクの日本向けサービス開始が1999年だとか、Google画像検索のリリースが2001年だとかそういう枝葉末節の話もいっぱいしたかったのですが、流石に収拾がつかなくなってきたのでやめました。
老人の話、脱線しがち。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?