![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/125505678/rectangle_large_type_2_19aa63512cc992977cef2696849cc426.jpeg?width=1200)
【コラム】ニモノ杯の歴史[ポケカアドベントカレンダー 24日目]
いちょーさんの「ポケカアドベントカレンダー(通称:ポケカAC)」という企画の一環で、今年も記事を書きました。
なにものかと申します。
年末ならではのポケカAC、時期的にも振り返り系やまとめ系の記事を書くのに丁度いい機会です。
今回は、僕の自主イベント「ニモノ杯」を振り返ってみようと思います。
10年そこそこ続けてきましたが、今年でどうやら一区切りになりそうなので。
ポケカアドベントカレンダーとは
クリスマスまでの日数を数える「アドベントカレンダー」に擬え、記事を1日に1件ずつ投稿していくオムニバス形式の企画、そのポケモンカード版です。
詳しくは、主催のいちょーさんの記事をお読みください。
自己紹介
改めまして、なにものかと申します。
ポケモンカードが発売された1996年からポケモンカードに親しんでおり、イベントオーガナイザーとしては2001年から活動しています。
活動期間で見ると大ベテランなのですが、活動規模や活動頻度があまりにも細々としているため、実態としては弱小ベテランです。
やさしくしてください。
初めてイベントを開いたときの記事なんかも書いてます。
よかったらついでにどうぞ。
ニモノ杯とは
僕ことなにものかが主催する、ポケモンカードの自主イベントです。
時間は午後から半日、形式は最大16人でスイスドロー4回戦と+αのフリータイムが基本で、ほとんど最小構成です。
神奈川県横浜市の綱島という街を拠点にし、会場は綱島商店街の貸会議室「キングドー」をお借りしていました。
公式大会に向けた練習会からスタートしたので、レギュレーションはその時々の直近の公式大会に合わせています。
2009年1月12日の第1回から2022年の8月28日の第18回まで、細々とではあるものの息が長いとも言える自主イベントです。
![](https://assets.st-note.com/img/1703428199862-xdEbia59m2.jpg?width=1200)
ニモノ杯を始めたときのこと
公式大会に備えて対戦する機会が欲しかったので、イベントの形にして人を集めてみようと思ったのがきっかけです。
2009年、シリーズで言うとDPの末期です。
僕は2008年に就職を機に上京してきたのですが、当時のポケモンカード人気はそこそこの低空飛行だったので、首都圏であっても身近で遊べる環境は貴重でした。
2023年現在は綱島駅前エリアにも2件のカードショップがありますが、当時は神奈川県全域を見てもカードショップは数件といった状況でした。
そういった店舗主催のイベントも、月に1度だったり隔週だったり頻度はまちまち。
自主大会に至っては、上大岡の港南ジムが唯一。
幸いイベント開催のノウハウはあったので、会場を探してみたところ、都合よく近場に明るく手頃なサイズの貸会議室を発見。
そこで第1回ニモノ杯を開催しました。
そのときのレポートがこちら。
懐かしいな……。
以降、1年に2回ほど、気が向いたときに突発的に開催するスタイルで何度か開催しました。
今となっては信じ難いことですが、当時はイベント自体が貴重だったので、自主イベントに差別化もへったくれもなく、「ポケモンカードで遊べる」というだけで一定の訴求力を発揮できました。
同じく信じ難いことですが、その頃は僕も狭いポケモンカード界隈の中でそこそこ顔が広い方だったのでその恩恵もいくらかあったと思います。
神奈川や東京といった近隣だけでなく、千葉や埼玉、果ては静岡や栃木といった遠方からも熱心参加者が来てくれました。
その中には、後の世界チャンピオンとーしん選手やイタガキタクト選手・同シュウト選手、後のハレツー買取担当かっきー選手、後のクリーチャーズ社員ヤマダアキオ選手等、今となっては豪華な面々も。
手前味噌ですが、都内のイベントと比べても16人規模のスイスドローはかなり立派な方でした。
総じて、そこそこの自主イベント主催としてなかなかいい経験をさせてもらったと思います。
ニモノ杯が厳しくなってきた頃のこと
2010年のポケモンカードBW発売を契機に、少しずつ風向きが変わってきました。
シンプルなゲームデザインが受けてポケモンカードが少しずつ盛り上がり、店舗イベントや自主イベントもじわじわと規模や開催数が拡大すると共にレベルが上がっていきました。
また、2012年には「おーす!みらいのチャンピオン杯(通称:みらチャン杯)」という、当時としては異常な規模のイベントが都内で立ち上がりました。
もちろん、これらは全てマクロな視点で見ると喜ばしいことです。
一方、無個性小規模自主イベントであるところのニモノ杯は独自性と訴求力を失っていき、以前に比べて参加者を集めるのに苦労するようになりました。
所謂「コモディティ化」です。
そもそもの「練習機会が欲しい」という当初の目的も外部要因によって達成されてしまったので、2012年の第12回ニモノ杯の後活動のあと休眠期間に入りしました。
ただし、特に休止宣言のようなことはしていません。
それまでの経験からしてもポケモンカードの人気には波があるものだと思っていましたし、いずれまた出番が来るときもあるだろうと。
そうして、僕は自分のイベントを一旦脇に置いて、喜び勇んで他所のイベントに出かけていくようになりました。
ニモノ杯をもう一度動かしたときのこと
2015年に「イベントオーガナイザー」制度が創設され、「イベントよ地に満ちよ」というメッセージがダイレクトに発信されました。
自分も何かやってみようと資格を取り、実に4年振りにニモノ杯を再開しました。
「イベントを開く機会が欲しい」という完全に自己目的化した動機に基づいた行動ですが、第1回を始めたときの「対戦する機会が欲しい」という動機とも重なる部分があります。
特にテコ入れ等を図ることもなく再開したニモノ杯は、相変わらずの小規模イベントとなりました。
しかし、時期を空けて開催したことで参加者もがらっと変わっていたので、時代の空気のようなものを感じることができ、継続的にイベントを開くことに意義を見出すことができました。
また、その後2016年の20周年記念、そして2018年の第二次ポケモンカードブーム等、コミュニティが大きく拡大する機会もありました。
無個性小規模イベントにも、主催と個人的な付き合いがあるとか会場の近くに住んでいるとかのニッチ需要が生まれ、微かな追い風が吹くのを感じたものです。
10年ほど続けた中で初めての無断キャンセルが発生して、これも時代の流れかと強く印象に残ったりもしました。
直近の第18回のレポートがこちら。
一方で、プレイヤー歴の長さという自分の強みを生かすため、過去の公式レギュレーションで遊ぶ「ニモノ杯クラシック」というイベントを2016年から新たに企画し、こちらも断続的に取り組んでいます。
ニモノ杯は一区切り
そんなこんなで、ニモノ杯は第18回までぼちぼち継続するに至っています。
モチベーションの浮き沈みや向かう先はブレにブレましたが、後に残るのはいつも「人と場所とポケモンカードがあればとりあえず楽しい」という感想です。
自分の楽しみの一つとしてニモノ杯は今後も続けていこうと思うのですが、いつもお世話になっていた会場のある綱島からこの2023年に転出してしまったため、今の形式のニモノ杯は一区切りとなります。
大変お世話になりました。
なにものか先生の次回作にご期待ください。
![](https://assets.st-note.com/img/1703428226314-aXmxHHT1H1.jpg?width=1200)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?