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父ときょろちゃんとほんとの供養

面白半分、嫌味ねっちょりに書いた『がいなおかあ』。それを7回目投稿した頃に、母に切ってもらった桃が頭の中で熟成して甘味を増し、それ以降、母への不平不満愚痴文句がなかなか書けなくなった。

代わりに父のことを思い出した。

長袖のワイシャツを7分(しちぶ)
に折り上げ、腰に手を当てる仕草が、今年24歳になった次男にそっくりで
そのうしろ姿にドキリとした。

今年、わたしは、父が逝った歳と同い年になった。

父は、わたしが長男を産んですぐに長年からの肺の病いで天へのぼった。

生前の父は「太田胃酸」いやちゃうわ、「太田胃散」という拳大くらいの缶に入った粉末薬をいつもポケットに忍ばせていた。
象さんの耳かきくらいの…この場合は小さいというべきか、大きいというべきかわからんが、そんなスプーンで粉をすくい、水なしで一気に口へ放り込んでいた。

口の端から白い粉がはみ出て煙り、時に気管に入ってむせたりした。

父は料理が好きだった。
わたしの祖父、つまり父の父は、
調理師免許を持っていたから、
遺伝子のねじねじは確実に父のどっかにねじ込まれていたんだろう。

生の玉子をそのまま天ぷら油に流し込み、揚げる。料理名をつけるとしたら『玉子そのままかりんかりん』とでもいうべきか、幼い頃のわたしには、なんとも奇妙で珍しい料理を作ってくれたりした。

父の料理は当時の一般的な男の料理にしては珍しく、昭和レトロの壁紙のように色とりどりに盛りつけてある。

みかんの輪切りを並べてみたり、ゆで玉子をチューリップに切ってちょこんと置いてあったりする。

母に言わせりゃ、『見た目ばっかり』なんだが、
可愛いお花が、ちらほら咲いてるお皿を見ると口の中でじわじわ条件反射してくるのだ。

ごくんと生唾を飲み込むと、すぐあとにはもう指がそれをつまんでいた。

父は、可笑しなところがある人で
自分のコップをふたつ用意して、ひとつに氷をたっぷり入れ、ひとつは空のまま。口のなかに氷をふくみ、歯で軽く砕いたら、ふたつ目の空のコップに、ブヘーっと、と口から氷を吐き出すのだ。そうやって軽く砕いた氷に砂糖をふりかけ、『口砕き吐き出しかき氷』(くちくだきはきだしかきごおり)を作って食べる変人だった。

絶対、作った本人しか食べられない
いわくつきのかき氷である。


いや、きょろちゃん買おうよ。



タイガー魔法瓶サイトから画像引用


ある日の暑い夏、父がいつものように『口砕き吐き出しかき氷』を作っていた時のこと、父は氷とともに自分の「歯」も砕いてしまった。
その時の父は、自分の身に何が起こったのか理解するのに軽く10秒はかかっただろう。かき氷の中に折れた歯、
想像すると、恐怖でしかない。

それからすぐ、我が家に憧れのきょろちゃんがやってきたのはいうまでもない。


あぁ、もしも生きていたならば父とどんな話しをしただろう。どんな料理をつまんだだろう。


もしもなんて所詮もしもだから、
想像したって仕方ない。

だけど、亡き人を思い出し、うるっとなったり笑顔になったりすることは、立派な袈裟を身につけたお坊様のどんなお経より、

亡き人を思い懐かしむ事の方が
きっときっと

故人の供養になるはずだ。


先日の誕生日、
もしも
生きていたならば、
父は、

82歳になる。



#条件反射ってのはつまりヨダレ
#昭和レトロの壁紙
#玉子の素揚げってしってるかい
#調理師免許かっちょいいね
#最高の供養ってのは
#お父 、夢で会えたら
#82歳 。わたしはウン歳。
#誰もが知ってるかき氷器きょろちゃん
#きょろちゃん懐かしの昭和 。発売はもうしてない

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