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”大変だね~”で すべてがすまされた時代 昭和

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多少の曲解もあるかもしれないけれども、私が母から聞いた当時の子育て。

2才の子供と 生まれたばかりの赤ちゃんが留守番をしているのは、本当かなという気もするけれども。

最近は育児放棄とか、パワハラとか、そういったことが意識化され、法的にも処罰の対象になるが、当時はそんな時代ではなかった。

私の両親の場合は、2,3時間ごとに様子を見に家に戻っていたので、育児放棄とは言えないかもしれないけれど、けっこう危険はあっただろうと想像する。

それでも私と姉は、大けがもせず大きくなったのだから、まあ 何とかなるもんなのかな。

昭和39年(1964年)以降は 食べることに苦労しなくなったとはいえ、生活のために働くことは、当たり前のこと。我慢するのも当たり前。
夫婦間で何が起こっても、周りの人は ”大変だけど、我慢しようね” と良心で 説得される。

さて、農家と言えば、2世代3世代同居をイメージする人も多いだろうし、実際その方が多かったかもしれない。でも、分家をした父の兄弟たちは みんな核家族。舅、姑と同居はしていない。

※分家 自分の育った家(本家)から、土地を分けてもらい農業を始める。

家は核家族で、母も大変なことが多かった。とにかく忙しかった。しかし、逆に 舅、姑問題には全く悩まされることがなかった。”楽でよかったよー”と言う。本音だと思う。

私も、気の合わない舅、姑と暮らすよりは、どんなに大変でも自分でやりたいと思う方だが、 たまたま夫は次男だったし、同居という状況にはならなかった。

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