見出し画像

それでも、風呂にはいるのだ!

画像1


昭和30年代当時、北海道の私の親戚では 五右衛門ぶろが主流。このお風呂は母屋とは別の 小さな小屋に中にありました。私が4歳の時に小さく簡素な家を新築するのですが、その時まで使っていました。

冬なんて、どうやって子供を風呂に入れていたんだろう。氷点下20度になるのに。

私の記憶する限り、両親は風呂に入らない日は一日もありませんでした。きれい好きだったし、相当風呂好きだったんでしょう。でも、五右衛門ぶろを使っていた時代、気温マイナスの厳寒期、子供も小さいし、さすがに入浴回数は減ったかもしれません。

今も昔も 子育ては大変な仕事。当時の両親の生活は、育児に加えて 日常の生活を維持し、かつ農業も。つまり、どこかで手抜きせざる負えません。それが、思わぬ事故につながる可能性もあったはずです。それでも、私たち姉妹が たいした大けがもせずに 生きてこれた。これって、かなり、幸運かもしれません。

実際、父の9人兄弟の一人は、ジャガイモの芽を食べて死んだ、とか😱



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?