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【昭和の北海道マンガ】 恋文

私の母方の祖父は、私が12才の時まで存命でしたが、戦争についてはあまり語ることもありませんでした。ですから、それがつらい体験だったのか、そうでもなかったのか、見当がつきません。

ただ、その時彼らに子どもは無かったので、生活について差し迫った困難はなかったのかもしれません。祖父母は北海道移住の2世ですから、親族の協力もあったと思われます。

母や祖母からの話によると、祖父は描いたり書いたりすることが好きだったようです。当時は筆の時代。ボールペンや万年筆は一般的には使われていませんでした。

祖父母の家の座敷には、祖父が筆で書いた ”忍耐” という大きな文字が額に入れて飾られていました。自分でそう書いていたのですから、きっと祖父の人生は忍耐だらけだったのかもしれません。

絵を描くことも好きで、学校を休んで水彩で絵を描いていたこともあったそうです。

この写真の箱は、母が倉庫で見つけました。ホコリをかぶっていたその箱には、祖父の描いたネズミや小槌の墨絵。農民が絵筆をとるような時代ではなかったはずですから、祖父はよっぽど絵を描くことが好きだったのでしょう。

もしかしたら、祖父にとって 農業を営むことは彼の本意ではなかったのではないかと思います。自分が望む生活と現実とのギャップ。それを埋める方法も手段もなかった。やる気とか、意欲、行動力で自分の生き方を変えていくことが不可能な時代でした。もちろん、地域的な環境もあるでしょう。

父方は農業に精を出し土地を拡張していった経緯に比べ、母方の方は、こじんまりと自分たちの生活を大切にしていたように見受けられます。

そんなふうに、双方の祖父母の生き方を見ていると、私は明らかに母方の傾向があると言わざるおえません。 祖父母の生き方を知ることによって、自分の性癖や嗜好は、もともと自分の中にあったのだ気づきます。

そして、ああそうだったのかと、なぜかホッとします。

倉庫に眠っていた箱に、祖父の描いた絵が。

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