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筝曲’’六段の調’’にみる文化的遺伝子

「私があなた達と同じ高校生だった頃、芸術に全く興味がありませんでした。特に鑑賞するにあたって予備知識や歴史を理解していないと理解できない芸術なんかは邪道であり知識人が仲間内で教養をひけらかしているだけだと思っていました。今もそう思うことがないわけではないのですが、いろんな見方を試すのも悪くないのでは、という話です。
今回は音楽。古典の名曲、六段の調です。


まあ琴の曲だなあと思う程度だと思います。実際は筝(そう)という楽器で琴とは別の楽器なのですけど、筝が常用漢字ではなくて琴という漢字をあてて使うのでよく混同されます。私も知ったのは最近です。
筝という楽器は奈良時代にその原型ができたといわれています。八世紀ごろ大陸から日本に楽舞が伝わり、日本にもともとあった踊りと融合し雅楽が作られます。この時一緒に伝わった楽器が日本で改変されたものが今の筝や琵琶の原型といわれています。

琵琶といえば今勉強している平家物語は琵琶法師たちによって広められ、確立されていきました。そして琵琶法師から浄瑠璃が生まれるのですが、浄瑠璃にはヨナ抜き音階が多用されています。ドレミファソラシドからファとシ(四番目と七番目、ヨとナ)を抜いたもので現在では演歌などによく使われます。演歌を聞いて日本っぽいなーと思うのは千年以上前から続く音階によるところがあるのですね。

そして筝も琵琶と同様に雅楽だけでなく様々な形で伝えられたはずなのですが詳しいことは現在よく分かっていません。しかし十七世紀に筝曲の様式化と発展が突然に起こります。この六段の調もその頃作曲されたとされています。

ここから随分話が変わりますが、この曲がローマ・カトリック教会のグレゴリオ聖歌「クレド」の影響を受けたという説があります。
音楽学者の皆川達夫という人が唱えたものですが、双方の区切りの一致、要所の終始や音の合致が随所に見られ、「六段」という六つの部分からの構成は十六世紀スペインで始まった変奏曲の形式「ディフェレンシアス」から来たものだというのです。
突拍子の無い説の様に聞こえるかと思います。正直、二つの曲を聴き比べてみても専門知識がないと俄かには理解が難しいと思います。残念ながら私にはよく分かりませんでした。
しかし思いを馳せることはできます。
江戸初期にはすでにキリスト教の教会が日本各地に作られており、その中では信者が聖歌を歌っていました。それをとある筝の名手が聞いたらどう思ったでしょうか。全く耳慣れぬ音楽に打ちひしがれたのではないのでしょうか。そして見知らぬ音楽を拒絶することなく研究を重ね、箏の上でラテン語聖歌「クレド」メロディの幻想的なパラフレーズ、「ディフェレンシアス」ふうの変奏を試み、それが契機となって新曲「六段」が成立したのかもしれません。
しかもこの後日本ではキリスト教の弾圧が起き、聖歌そのものやそこから生まれたキリスト教的な歌詞を持つものは全て検閲によって破棄されてしまいますが、この曲は器楽曲でありキリスト教ではなく純粋に音楽への興味から作られていたため弾圧を免れ現代まで受け継がれてきたのかもしれない。
そこまで考えるとどうでしょうか。この曲の味わいが増してきませんか。

大分端折ってしまいましたが、そもそも大陸から日本に伝わる前にも楽器は形を変えながら数千年の旅をしてきました。螺鈿紫檀五弦琵琶が正倉院にあることもそのことの証明のひとつともいえます。そして日本にたどり着き独自の文化の下で洗練されていった筝という楽器。また西方において生まれた讃美歌、ポリフォニーという芸術は多くの権力者たちに統治の為に利用されながらも、無数の祈りとともに連綿と受け継がれ、洗練されてきました。それらが極東の島国で出会い、またその後もいくつもの戦火を乗り越え、四百年の後の今に聞くことができる音楽はなんとも美しいと私は思います。

ちょうどチャイムも鳴ったのでこれで終わります。今話したのは全くの嘘ではありませんが、あくまで学説のひとつなので真実かはわかりません。それが逆に面白いかとも思いますが。
また今度時間が余ったら過去に二億二千万円という値が付いたサイ・トゥオンブリーの絵の話をしたいと思います。では」

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