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山と谷

三日に一回、私はあなたに裏返る。
「そう、私たちはちくわなんだね」
と、女学院という場ではひどく頓狂に聞こえる語彙(というかこれに関してはどこで発されてもそんな印象を受けるのでその効果を狙って作られたジャーゴンなのではないかと思うのだが)をいつかの生物の時間に呟いたのは、私だったかあなただったか。
窓から射し込んで教室中の物に散乱する午後の日射しに邪魔されて、あの時の記憶はどこまでも曖昧なままだ。その光の弾幕の中でもくっきりと浮かび上がっているのは、教師が黒板に書いた解剖図で、味も素っ気もないタッチの人体の断面はそこに取り込まれた物がどこでどう分解されて残りかすとして排出されるのかを示している。
裏返る時は、決まって体の下端に何かが詰まっているような違和感がある。その違和感が次第に体の上端に向かってせりあがり、堪らないえづきとして実を結んだところで、めりめりと私はあなたの内に埋没していく。
山折りと谷折りが、入れ換わる。
私が私たちのことを他人に伝えるなら、加工食品の内側と外側よりも、折られた紙で説明したい。そちらの方が上品だから(ということは、竹輪といったのはあなただったのだろうか)。
一回折り畳まれた一枚の紙。山折りと谷折り。山はその裏側に谷をしまい込んでいる。そして、折る向きを変えれば、山は山だったものとして、谷だったものの内側にしまい込まれる。
どこか右と左の関係に似ている。何かがあったらそれと対応する別の何かを必ず引き入れるはめになるもの。追い詰められたヒーローに「お前は俺だ」と言うヴィラン。過去と未来は、「今」という時を考えるや否や、手を携えてやってくる。法律は取り締まるための犯罪者を必要とするし、自分自身に恋はできない。
そう、恋。私は恋の話をしようとしていた。
この世で一番遠い場所は自分の背中だ、といった人がいた。私は月を讃えたことよりも、こちらの方が気に入っている。名前はまだなく、どこで生じたのかとんと検討がつかない私たちの関係と似たニュアンスを持っているからだ。
紙の表面に聳えた山は、その裏側に広がる谷を見ることができない。
その厳然とした差異にもかかわらず、両者は一枚の平面として癒着し、なぜだか分からないが、ときどき、両者の間に僅かだが看過することのできない侵犯が、生じる。
その侵犯の一つが私の場合は恋として現れたのだと思う。
私は私から見た時の谷であるあなたが愛しい。

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