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デバフ

「あなた魔法間違ってかけてない?」
薪が爆ぜた。舞い上がった火の粉は風に運ばれ、遠くにそびえる塔のある方角に吹き流されていく。夜風に当たる甲子の顔が、セーブポイントの光に青白く照らされる。
「超回復だよ」
塔の後景には分厚い霧の壁がたちこめていて、頂上ではクリスタルが光っている。
「抵抗力を増やすために組織がちょっと多めに再生しているんだ。次同じ攻撃を受けた時のためにそうなるようにしたの」
私達の目的は、塔のクリスタルを手に入れること。霧はその分厚さで私達がその向こうに進むことを妨げている。霧の発生は、クリスタルが原因で、それを入手し操作できれば霧は晴れ、二人の旅は再び始まることになる。
鍋からスープをよそって口に含む。

クリスタルの前に陣取るドラゴンは、私達が扉をくぐるやいなや、岩のような鱗で身を固め、剣を咥えた三本の首を振りかざし、巨体に見合わぬ素早い身のこなしで襲いかかってくる。ブレスもなかなか射程が広く、クリスタルを持ち逃げする作戦は何度も失敗している。おまけにこちらが攻撃と回復を分担しているのを知っているようで、ことあるごとに二人を分断し、一人ずつ潰していこうとする。
強敵だ。
そいつのおかげで私達は塔とここの往復を繰り返している。

甲子のお玉を持つ浅黒い腕には白い筋が幾本も走っている。まるで使い込まれた鍋の裏側だ。
復活しても受けた傷はそのまま残っていることが多い。
彼女はギルドで会った時から傷だらけだった。最初それらの傷たちは戦士という職業が持つ粗野さと野蛮さの象徴として私の目には映っていた。今ではそれは強敵に立ち向かう勇猛さ、そしてパートナーを守る優しさを物語っている。
ある時は剣の連撃でばらばらにされ、ある時は巨体に押し潰され、ある時は足場の把握を間違えて塔の真下へ真っ逆さまに落下する。その都度私達の魂はここのセーブポイントに舞い戻り、復活した私達は十何度目かの野宿を始める。
はじめのうちは死ぬタイミングにずれがあり、一方が先に死んでセーブポイントで夕食を作り始めている時もあったけれど、今は同じ時間に蘇ることが多くなってきた。
命取りになる攻撃が決まってきたからだ。ばらばらにされたり、足場を間違えるのは、こちら側の不注意が原因だけれど、それらを全て防いだとしても絶対に回避できない攻撃を、相手の側から仕掛けてくる。
「なんで嘘をつくの?」
甲子の険しい表情が焚き火の上に浮かび上がる。

いつまでもくたばらない二人に痺れを切らしたドラゴンは、ブレスをまとわせた剣を三本の首で一斉に振るう。その瞬間、塔の頂上は灼熱のミキサーと化す。範囲は床とそこから十メートルの上空。あまりの高温に刃が届く前に二人は灰になる。逃げ場はない。

「詠唱の時に紋章が浮かび上がるでしょう。それを見ていて分かったの。回復魔法と似ているけれど、装飾の浮き出る順序が微妙に違う。私にかけられていたのは毒麻痺系のデバフ魔法。なんでそんなことするの?」
「なんでなの?あともう少しで勝てるのに。どういうつもり?」
私の言い分は正しい知見に裏づけられた反論に尽くねじ伏せられていく。私の口数は甲子が反論を加えるほど減っていく。

「またやり直しだね」
刃と炎が迫る一瞬、甲子は私にそう微笑んでくる。その時、虹彩と肌と八重歯、私の見る彼女の全てが輝きを放つ。爆風に三角帽子は剥ぎ取られ、髪留めを失った髪がはためく。はるか後方に吹き飛んだその髪留めは、何回目かの塔への道中、市場で彼女が買ってくれたものだ。それと調子を合わせるように彼女のネックレスも千切れ飛ぶ。それは私がお返しに買ったものだ。目を焼く光が二人の体を灰にする。
なんて心地良い瞬間。
皮膚の耐えうる限度を超えた熱の波は二人を包む温かい衣と化し、死を前にして無尽蔵に湧き出るアドレナリンが、お互いの顔に一層の艶やかさを添えて、セーブポイントから塔までの距離で起こった出来事が走馬灯となってリフレインする。
一塊の灰となって彼女と空に消えていける期待と、そこに至るまでの道程をまた繰り返すことの喜びと。
この最上の瞬間を今一度味わうため、回復と偽って戦力を弱めることになんの問題があるのだろう。

「あの人が待っているのに」
そう言う彼女の言葉の奥に、どこか自分に言い聞かせる響きがあるのを私は聞き逃さない。現に旅が終わったあとのことを彼女はある夜ぽつぽつと語ってくれた。冒険が終わったあと始まり、自分の体と過去を蝕んでいくであろう日常生活、それがいずれ来ることの憂鬱と諦めを、ニュアンスに伴わせるだけでなく、はっきりと言葉で語ってくれた。その時の顔に比べて、炎に焼かれながら見せる笑顔のなんと素直なことだろう。

塔とセーブポイントの間で私達は何度も笑いあい、語りあった。その幸福な日々の繰り返しが、塔の番人を倒すことで失われてしまう恐ろしさを、なによりも甲子、あなたが一番分かっているのではないか。
甲子の詰問を遮るように、持っていた杖を鍋に突っ込む。
鍋から噴き出したスープが甲子に向かって降りかかる。
態勢を崩した甲が剣を握るよりも速く私は彼女に覆いかぶさり、引き出したもう一本の杖を彼女の腹に当てる。彼女の全身に電撃が走る。
気絶した甲のこめかみに杖を当て、詠唱と共に引く。
杖の先から結晶の束が引き出されてくる。
私は杖の先から結晶を落として、握りしめる。きしきしという音を立てながら、結晶は手の中で粉々に砕ける。
粉を握った手を空中に払う。明日の朝が来れば、放り投げられた記憶は完全に風化して、普通の砂と変わらなくなっているだろう。
そして私は前回と同じようにおはようと甲を笑顔で起こし、二人は塔に向かって旅立つだろう。



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