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煮崩れたイモ。

私が高校時代にやっていたblogのタイトルがこれである。
タイトル自体には特に深い意味は無い。単に煮汁に溶けるほど煮込まれた芋はおいしいよね、ぐらいのものだ。あの時代の自分に意味など求めてはいけない。

ものを書くことに対して何かよくわからないプライドのようなものがある。だからと言って別にその力を磨いてきたわけではない。
私が当時blogを書くようになったのは中学、高校とお世話になった吹奏楽部の先輩の影響が強い。彼はクリエイティビティの塊のような人だった。私はいつも彼の背中を見ていた。その底知れぬ才能に羨望を覚え、嫉妬した。しかし彼に追いつこうなどとは思わなかった。彼に近づけるとは到底思えなかったから。

ゼロから何かを生み出す才能のない自分がそれでもblogを書き続けたのはなぜだったのか。自己顕示欲はもちろんあっただろう。しかし、それよりも、自分が何者か確かめたかったからではないか。

もうあと何年かすると、その頃から20年経過したことになる。それぐらいの年月が経った今、自分は何者かになれたか。それを問うたとて答えはない。
むしろこの期に及んでまたこの場に戻ってきたことがある種の答えではないか。

blogを書かなくなってからずっとtwitterの世界に生きた。大袈裟な言い方だが実際にそうだったと言わざるを得ない。
普通なら接点のない歳の離れた学生や、色んな才能を持った人と関わりを持ったこと、趣味をきっかけにして自分の世界が広がったのもtwitterあってのものだった。
一方で、自分が持っている能力以上に自己が肥大し拡散されてしまったことで思い悩むことにもなった。

というわけでnoteに投稿しているのもまた逃げ場探しの活動の一環である。
自分の稚拙な文章と言えど、世界からソフトランディングで離脱するための道具としては機能してほしい。そのためのこの場所、そのためのnoteである。

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