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曲② たま/いなくていいひと

「たま」は私に衝撃を与えたバンドである。私の音楽に対する観念を破壊し、再構築したバンドであった。「たま」について綴りたいが、曲を紹介すると自分で決めてしまったので悔しいが曲について記していく。

「いなくていいひと」は柳原幼一郎脱退後の3たま、所謂「後期3たま」以降に発表されたアルバム『いなくていい人』に収録されている曲だ。(『しょぼたま2』にも収録されている。)後期3たまは豊富な楽器を扱っていた柳原の穴を埋める為、電子楽器を取り入れていた。本曲も後半にエレキギターが入っている。が、初めて聴いた時私はピンとこなかった。

高校二年の夏、私は知久寿焼のライブを観に行った。ライブを観に行くという行為自体初めてだった。画面越しでしか見れなかった人間が目の前に現れ、チューニングをし、演奏をしている。その時の一曲目が「でんちう」だったのだが、私は感極まって泣いてしまった。
この日に「いなくていいひと」を演奏していた。音源ではなんとも思っていなかったが、生演奏では違った。ギターストローク、それと同時に入る知久寿焼の郷愁駆られるような寂寥感ある歌声。全てに圧倒された。弾き語りという最小編成でありながら、バンド編成で揺さぶられなかった感情を掴んでくる知久寿焼は本当にかっこいいと思った。

ねえ誰か ぼくの嘘を

まじめにきいてくれないか

ぼくのおしごとは いなくていいひと

私の一番好きなフレーズである。
「いなくていいひと」全体から「孤独」の匂いが終始漂っているが、特にここの歌詞は顕著だと思う。
オオカミ少年の様になってしまったのか、それとも最初から誰も信じてくれる人がいないのだろうか。
その後の「ぼくのおしごとは いなくていいひと」からは諦観、自身に対する憫笑を感じる。「いなくてよい」とすることで誰にも聞いてくれない自分の正当化を図るも、完全にその境地に辿り着いたわけではなく、「僕の嘘を真面目に聞いてくれ」と子供の駄々こねのような欲望を乞うている。この拙さ、憐れみを抱いてしまう歌詞にいつしか懶惰な自分と重ねていたように思う。
生演奏でこの一節が歌われた時、心が軽くなった。「別にいなくてもいいのか」と思ったりした。こんなにも少ない抽象的な文字で人間の心を癒すことができるこの曲は本当に素晴らしいと思う。私から切り離すことができない、できたとしても私の肉や皮がへばりついているだろう。こんな感情を私も乾かして箱に仕舞おうと思う。

公式っぽいのがこれだけだったように思うので。

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