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僕らの救済のための私見

社会不安の増大する現代をどう生きていくか。自分なりに考えました。後半になるにつれ、論理の飛躍と荒唐無稽さが増していきますが、今後、より知見を広げ、 改善させていく所存です。長めなので目次をご活用ください。


山谷

あしたのジョーの舞台、山谷

山谷という街を知っているだろうか。東京都台東区の北東部に位置する地帯の名称で、いわゆる「ドヤ街」と呼ばれている場所である。ドヤとは宿の逆さ読みであり、宿ともいえない程に粗末な安宿であったために、自虐を込めてドヤ街と呼ばれるようになったと言われている。安宿が多かったから労働者が集まってきたのか、労働者が多かったから安宿が立ち並んだのか、はたまた両側面があったのか定かではないが、ともかく日本の戦後復興や高度経済成長を支えた日雇い労働者が多く住んでいた街だ。戦後、更地になった日本を再建するために大量の労働力が必要だった。土建業の事業形態上、必要な労働力が規模によって変動するため、正社員として雇うことはなく、多くが日雇い労働者として働くことになった。彼ら日雇い労働者は、山谷や寿町や西成といった安宿の多いドヤ街に集まり暮らし、日本の戦後復興、高度経済成長を支えてきたのだ。そして現在、彼らの多くは雇用の減少と高齢化に伴い、生活保護を受給している。山谷では住人の約9割が受給者だ。我々の繁栄、現在の街並みや道路を作った日雇い労働者は今、道路の脇で酒を飲み、タバコを吸い、僅かなお金で消費に励む他ない、「消費する動物」としてのみ生きることを半ば強制されている。働くことができず、ホームレスであることすら許されず、生活保護という名目のもとで消費者として資本主義社会の中に組み込まれる。

ドヤ街の 山谷の老兵 使い捨て
スカイツリーは 地べたに寝転ぶ

実際に山谷に足を運んでみると、東京スカイツリーがよく見えることに気づく。高く、巨大で、居丈高に佇むその姿と山谷の街とが対比され、あれほどスカイツリーが空虚に見える場所はない。繁栄の象徴が、使い捨てられた人々を見下ろし、歯牙にもかけず聳え立っている様は見るに耐えなかった。生活保護は社会的弱者と呼ばれる人々に対して、生活できる最低限の金銭を与え、それでもって万事解決とみなす冷徹で無関心な態度にほかならない。社会という経済システムを維持するために、その過程で逸脱した人々をわずかな金銭を与えることによって強制的に社会へと組み込み、その構造的な欠陥を放置したままに一時的な給付金によって解決したように見せかける。彼ら社会的弱者の存在こそが、経済のみによって社会を運営しようとする資本主義社会の誤りと限界を露わにしているというのに。「消費する動物」として人間が存在するならば、人は何に生きがいや楽しみを見出すことができるだろうか。間接民主主義が、国民の意見を反映しているとは到底思えない現代で、自らの力ではビクともしない社会の中で、どう生きていけば良いだろうか。山谷を包む雰囲気は、今日明日の食べ物を心配するような困窮から来る不安ではなくて、今日明日、そして死ぬまで同じような日々が続くだろうという絶望なのだ。

無用感・無力感

https://www.tokyo-np.co.jp/article/242140より引用

2022年7月8日11時31分。

鉄パイプから放たれた六つの銃弾のうちのいくつかが、国家に巣食う宿痾の喉元へと食い込み、その打倒を果たした時、同時に一人の尊い命が失われた。ニュースを見た私は悲劇に心を痛めながら、歪に変形した国家が完全な破滅に向かうのを幻視した。彼の行動は暴力こそがこの世を変えうる唯一の手段だと世間に知らしめた。メディアではジャーナリストたちが言葉の重要性を語り、彼の行動を否定したが、もはや信じる者はいなかった。事件によって、猛烈な批判を受けることになった宗教団体のボロボロな姿が全てを物語っていたのだ。山谷に顕現した資本主義社会の無慈悲な態度と近代に成立した民主主義体制の限界が、今日多発する、困窮し、社会から孤立した男性たちによる自暴自棄なテロ行為に現れている。私は最近、ずっとこれらの事件に固執している。どうしても他人事に思えない。私も彼らのように徹底的に追い込まれたとき、言葉でも自死でもなく、自らを追い詰めた社会へ復讐するのではないか。社会から見えない暴力を受けつづけ、孤立し困窮しどうにもならなくなった時、それでも自らの尊厳を保ち続けたいと望むならば、社会を否定し壊すしかない。
 私は恐れているのかもしれない。彼のようになることを。そして同時に、彼のようになれなくなることを。大阪・北新地心療内科の放火殺人事件、京都アニメーション放火殺人事件、秋葉原無差別殺人事件、京王線殺傷事件などなど、いつもこれらの劇場型犯罪を起こすのは孤立した男性である。劇場型犯罪と称したのは犯人の目的が、自らの存在を認めてほしい、知ってほしいという心情からあえて注目を集めるための犯行であるように思えるからだ。彼らの中には一種のヒロイズムがあっただろう。この狂った世界を破壊し、亡きものとする。この歪さを世間に知らしめる。そんなヒロイズム。死刑になることを厭わず、自らと世界の救済のために行動する。恐れるのは、やがて怒りが風化してしまうのではないかということ。そんな不安が彼らを駆り立てた。私にはできるだろうか。日常の雑事に追われ、何も成せず、今抱いている怒りや不満や思いが霧散し有耶無耶になり、この社会に丸め込まれるのではないか。そんな不安が日々大きくなっていく。体も気力も衰えた時、この思いを持ち続けていられるかどうか。もし出来ないのだとしたら、今しかない……今やらなければ……。などと考えてしまう。事実として彼らの行動が社会を変え、彼らの存在は認められた。その厳然たる事実が目の前にあるのだから。

https://mainichi.jp/articles/20210213/k00/00m/040/058000cより引用

「社会的弱者」や「社会から排斥され、孤立した人々」とは先天的もしくは後天的な理由で道徳やモラル、社会規範や法律を遵守することが出来ないもしくは難しい人々の事を指す。いわゆる犯罪者もその一人である。彼らは社会的弱者でありながら、弱者を救済し平等な社会の実現を目指すこの世界において、より一層弾圧される。我々は我々が健やかに生きていくために、彼らを強制的に従属させるか社会から隔絶しなくてはならない。多様性とは、全てを受け入れることでは決してない。秩序があるからこそ、多様性は存在し、受け入れられる。そして、秩序による線引きは線の外側にいる社会から逸脱した人々を「犯罪者」や「犯罪者予備軍」、「社会不適合者」として無慈悲に断罪する。社会から排斥され孤立した者は、時に社会に対して牙を向けることがある。トッド・フィリップス監督の『ジョーカー』はまさに、そんな社会的弱者の逆襲を描いた作品だろう。現実世界でも、劇場型犯罪を犯した犯人が「自分が生きた証を残したい」などと供述することがある。これは社会において自らが蔑ろにされ必要ない存在だと感じる故の発言だ。肉体や知的の障碍は他者から経済的な暴力を受け、コミュニケーション能力の欠如は共同体から精神的な暴力を受けることになる。そして、その結果生じた物質的・精神的な貧困者を放置すれば、彼らは徐々に社会で生きていくことを放棄し自暴自棄な行動に走るようになっていくだろう。最終的に、そういった人々は刑務所の中に隔絶され、社会から抹殺される。極端な例を挙げるなら、死刑制度はその存在が社会による暴力以外の何ものでもない。社会の中で生きられない人間に訪れるのは集団からの排斥、村八分である。社会が強要する自分勝手で理不尽な決まりに適応できないものは社会から存在が消されてしまう。
 彼らは貧困や孤立によって、社会の中で蔑ろにされ、存在しなくともよい人間だと感じていたことだろう。絶望は社会を暴力によって変革する思考につながり、テロへと結びついた。社会に広がる無用感や無力感は、それらをより強く感じる者たちの手によって、暴力という形で具現化されているのだ。

経済からの脱却と政治の復活

資本主義経済に飲み込まれた国々は、不安定に揺れ動く世界経済の動向に常に左右される。戦争や災害や疫病、世界恐慌やオイルショックなど、誰にも予想することのできない特定の地域での危機は、経済と交通によって結びつけられた世界全体にまで影響を及ぼし、経済を基盤にする社会を破壊する。生活の全てが経済、貨幣の上で成り立つ現代社会は自らが生きる場所さえも自らで所有することができない。家賃を払えなければ追い出されるし、お金がなければ食べ物も確保できない。産業革命以後、生産手段は個人のもとから剥奪されて人々は労働力として貨幣経済に組み込まれるほかなくなった。そして現在、マルクスが主張した資本主義社会の崩壊、プロレタリアートとブルジョワジーという対立構造、階級闘争の必然はもはや成り立たなくなっている。ブルジョワジーたる資本家でさえも、グローバリズムによる世界経済の発展によって、経済動向に大きく左右され容易に破滅しうる状況である。プロレタリアートとブルジョワジーという単純な二項対立を超えて、人々は資本主義経済の急速な膨張に飲み込まれてしまった。政治の場は経済関係を調整する機構に成り果てた。政治と経済は同一視され、経済の発展と安定がすなわち社会の幸福と安定に繋がるという思考が社会全体に広がり、国民から徴収した税金をどのように分配するのか、政府はそれのみに終始している。これを端的に表すのが、前述した生活保護というシステムであろう。

https://www.tripadvisor.com/LocationPhotoDirectLink-g189400-d1924860-i286733189-Private_Greece_Tours-Athens_Attica.htmlより引用

政治とは一体どんなものであったのか、その手がかりとして古代ギリシャの都市国家ポリスが参考になる。(以下、ポリスに関する記述は的射場敬一の論説を大いに参考にした)無力感・無用感を脱却する可能性は古代ギリシャに生まれた、資本主義経済から独立し、利害関係を抜きにして行われる話し合いつまり原義的な政治の場に見出すことができる。的射場によれば、自由と平等の原則のもとに、人々が政治に参加し、国政を担う「市民」となったのは、ギリシャの都市国家ポリスが初めてなのだという。そこで市民は武力によって垂直的に結合する専制国家とは異なり、互いに平等で、水平的なつながりが築かれていた。だからこそ、アゴラと呼ばれる公共の広場で、自由に意見を交換できた。人と人とが対等の立場に置かれ、自由に話し合うことができる言論空間。ポリスにおけるそういった公共の場こそが、市民を連結させた。政治参加の権利が平等に与えられたことで、支配と被支配の関係は成り立たず、市民が直接政治に関わることができた。

政治を成り立たせる私的所有

しかし、市民権は誰にでも与えられるわけではない。ポリスを担った主たる市民は、耕作地を持つ農民であった。ミュケナイ文明の崩壊によって、農民は貢納制から解放された。さらに、

「生産が個別的に行われる条件が増すにつれ、私有財産は土地にまで及ぼされ、耕地の共有や共同耕作はなくなり、これらの家族には集団占拠した土地(共有地)が、分割地として配分された」

的射場敬一(2016)『ギリシアポリスの形成と市民』、国士舘大学政経学会、20巻、2号、pp36

つまり、ポリスを形成した農民は、共有地でも借地でもない、自らが所有する土地を耕す、経済的に独立した農民であった。この事実は、今よりはるか昔の古代ギリシャにおいてポリスという先進的な民主政治が可能になったことと深く関わっている。人々は政治に積極的に参加し、社会をよりよくしようと日々、話し合いを続けた。これが可能だったのは、経済的な自立があったからに他ならない。ここで言う、経済的な自立とは、自然への関わり合いによって、他人に頼ることなく生活できるということである。彼らには貨幣がなくとも、寝る場所があったし、食べるものがあった。もちろん、余剰生産を貨幣に変え、生活に必要な物品を買うということもあっただろうが、もし一文なしになったとしても最低限の私的所有があったために、すぐに危機的状況に陥るということはなかっただろう。この安心は、自由な思考に必要不可欠である。今日、明日の食事を気にしながら生きる者にとって、社会の運営や政策は全くもってどうでもいい。また、自らが生産手段を持たず、私的所有のない者にとって、生活の基盤は他者に委ねられるのであり、そこで生まれる他者との利益関係を抜きにして、話し合いや政治に参加することは極めて困難である。だからこそ、政治を行うことができるのは、私的所有のある生産手段を自らに持った農民に限られたのである。彼らは自らの行動と意見が社会にとって、意味があり、社会をよりよくするだろうという実感があり、現代のような無用感や無力感は感じなかったはずだ。
 現代日本において、市民権は平等に、全国民に与えられている。日本を担うのは、主権を有するのは国民一人ひとりであり、間接的にではあるが全ての国民が政治に参加できる。しかし、古代ギリシャで初めて成立した民主的な政治形態、ポリスにおいて市民として政治に参加していたのは経済的に独立した農民たちであった。つまり、政治参加は私的所有を前提としていたのである。

https://note.com/yorozu_koubou/n/nae01fe035152より引用

資本主義経済の上に成り立つ現代日本は、近代を経験し、西洋化を経て、私的所有の難しい社会構造に至った。土地も食料も何もかもが貨幣へと変換可能になり、その流動性から社会全体が貨幣によって繋がることにより、私的所有は消え去った。自らの属する企業の利益関係の内に存在する人々は、自由な言動が制限される。生産手段が個人にないために、利益関係にある側の意見におもねるようになったり、利己的な利益の追求のための言動が生じることになるだろう。自らの所有する土地や家にもその経済的な価値によって税金がかかる。このような社会体制で政治が成り立つはずがない。そして社会を変革しうるような政治の場が国民に与えられないことで、人々は無力感や無用感に苛まれることになる。社会の中で必要とされていないという絶望は、唯一、人と人との話し合いによって、社会と関わり合うことによって解消される。人間が社会に埋没してしまう間接民主主義体制に従い続けるのではなく、政治と経済が分離され、話し合いによって国家の進むべき道を定める評議会運動のような取り組みこそ、現代に蔓延する無力感や無用感を乗り越えられるのではないか。そして、古代ギリシャのような、人と人とが平等に、自らの利益のためではなく、社会の幸福のため、よく生きるために話し合うことができるような場は、現代日本にどのようにして成り立ちうるのか。政治を可能にする私的所有を現代において成り立たせるためにはどのような論理と実践が必要だろうか。

信仰という私的所有

私は、安倍元首相暗殺事件を契機にして、宗教と政治、信仰と日本人について考える様になった。現代の日本人にとって宗教は人間の思考力や判断力を奪い、金銭を略奪する悪魔のように思われている。古来の宗教は形骸化し、西欧から表面的に取り入れられたハリボテの近代的価値観の上に、さらに底の浅い新興の宗教が乱立し、ただただ人々を不安に陥れ、宗教自体の信用を失わせてしまった。戦争やパンデミック、不安定な経済が続くような危機の時代にあっても人々はその拠り所となるものがない。その結果、現実から逃避する他になく、スマホ画面のキャラクターやアイドルに救いを見出すようになっている。耐え難く、どうにもできない世界を否定し、過去と未来から目を閉ざし、今、この瞬間の快楽のみに没頭する。これが私自身を含めた現代人のリアルな姿だろう。現代に宗教を、信仰を、取り戻さなくてはならない。かつて、宗教は政治と密接に結びついていた。まつりごととしての政治。生産手段を取り上げられ、私的所有が不可能になった現代において、それでも人々が平等に経済的合理性を抜きにして話し合いを可能にするためには、信仰ひいては祝祭の場が必要だ。思考において共有される私的所有たる信仰は、経済とはまた別個に独立した思考体系を築きあげ、純粋な話し合いを可能にする力を持っているだろう。
 私に身近な実感のある問題としてアート業界の批評家の絶滅が挙げられる。無用感や無力感はアート業界にも感じることだ。アートを価値づけ、美術史を紡いでいく批評家や評論家と呼ばれる人々の育成が殆ど出来ていない点に、人々のアートに対する無力感を感じる。話し合いが成立せず、無気力で無思考な肯定によって多様な価値観はぶつかり合わずそのまま放置される。言葉は積み重ならず、「アートは人それぞれ」だという、思考を停止した多様性の肯定が行われている。これは自ずと、アートの枠組みを酷く曖昧にして、存在を霧散させてしまうだろう。その結果として、政治の領域でいうところの独裁者、平易で安直な特定の価値判断をさせるプロパガンダのような作品が評価される様になってしまう。環境問題や戦争といったテーマを主題として狭量で強烈なメッセージを伝える作品が評価されるアート業界と独裁的な政治家が求められる現在の政治は、人々の無用感や無力感が原因となっている点で共通しているのだ。政治に私的所有が不可欠な様に、アートにも美術史的な教養の共通認識が必要である。
 人々の間に共通の認識を根付かせるために最も適した概念、それが「信仰」である。そして、その信仰をもとにして開かれる完全に自由で平等な地平、それが祝祭なのである。祝祭において、人々はその地位や利益関係、性別や年齢をなくして、一つに溶け合う。時間と空間は無化されて、新たな神聖な場が立ち現れてくる。そこにおいてこそ、政治は可能となるであろう。

日本近代思想史

信仰という私的所有、祭ごととしての政治を実現しようとした運動が存在している。それが、大東亜共栄圏である。大川周明の思想と深く関わり合う、そのヴィジョンは、近代という時代によって開かれた翻訳という地平において、また、連綿と続く日本古来の信仰と外来の信仰との受容と融合の末に導かれた日本近代思想の到達点となるべきものであった。  
 日本の近代思想を正確に捉えるためには、単に人物やその思想を時系列順に並べ立てるのでは、不十分である。起源を辿ればその道は果てしなく続き、場所で考えても境界は曖昧であり、捉えどころがない。日本にもたらされた近代化は技術面で人々の生活に革新的な変化をもたらしたが、思想の面で考えるとあまり実感がない。
 近代と現代の曖昧な境界の上で、横たわる戦中の大東亜共栄圏というヴィジョンは、単にナショナリズムを煽るためだけのプロパガンダだったのだろうか。大川周明が真に目指したものとは一体どんなものだったのか。日本の政治体制、統治体制をガラリと変えてしまった第二次世界大戦において目指された大東亜共栄圏という日本近代思想の結晶は今もその輝きを失っていない。現在の政治の危機に際して、大川の思想がまた再発見されるべきではないだろうか。
 大東亜共栄圏を正確に捉えるためには、日本近代思想全体の捉え直しが必要であり、近代が生まれることとなった起源にまで視野を広げていかなくてはならない。この遠大で、困難な試みは私一人の力では全くもって不可能であるから、私はここで一冊の本をほとんど借用する形で提示し、その内容と今回の私の小論とを結びつけたい。その本とは、安藤礼二によって著された『場所と産霊 近代日
本思想史』である。

『場所と産霊 近代日本思想史』の根幹にあるのは「無限の図書館」という言葉である。これはある時期に著された書籍が、時間と空間を超えて、近代に成立した「翻訳空間」によって結びつくということであり、ゆえに一つの本が無限の意味を持ち、あらゆる本とネットワークを作る。人々の思想は翻訳によって相互に結び付けられ、一つの総合がもたらされる。このグローバリズムは同時に、戦争を世界全体へともたらすことにもなった。これが近代の特徴の一つとなる。
 『場所と産霊 近代日本思想史』において、近代日本思想史を考えるために最初に取り上げられたのは「アメリカ」であった。アメリカは先住民を掃討することによって、近代に生まれたフロンティアであり、起源も記憶も持たない全く新しい新世界として設立されることができた。

「あらゆる人種と文化が、自発的に、また強制的に、このキメラ(混淆する怪物)としての新天地に取り集められ、蝟集することになった」

安藤礼二『場所と産霊 近代日本思想史』、2010年、
講談社、pp12

フランスの詩人であり、文学者、シュルレアリスムの創設者であるアンドレ・ブルトンは、シャルル・フーリエの空想社会主義をアメリカで再発見している。フーリエの夢見た、理想の共同体「ファランジュ」は新大陸アメリカに成立しつつある巨大な資本主義社会に抗するようなミクロコスモスとしての都市である。そこにはフーリエの、世界のあらゆるものを象形文字として捉え、それらをアナロジーの理論に基づき読解していく思考が隅々まで行き届いている。また、科学者であり神学者であるスウェーデンボルグは、アナロジーと合わせて論じられるべき万物照応の理論、コレスポダンスを提唱した。絶対の書物であるキリスト教に刻み込まれた聖なる言葉、その言葉を読解し理解することで天界に到達することができる。近代日本思想の成立には、このアナロジーとコレスポダンスの理論が重要であった。なぜなら、両者は象徴主義の詩人、シャルル・ボードレールの手によって、一つとなり、新たな表現の地平を築き上げたからだ。ボードレールは自身をエドガー・アラン・ポーの翻訳者として位置付けていた。この「翻訳」という行為の持つ、可能性や不可能性が様々な言葉や伝承や神話が交差する「無限の図書館」という時空間を超えた世界を創出した。フーリエはアンドレ・ブルトンの手によってアメリカにもたらされ、そこでアナロジーの理論を知らしめた。同時に、スウェーデンボルグによって、アメリカにコレスポダンスの理論がもたらされた。そうして、起源も記憶も持たないアメリカという空白の地に、無限の図書館を打ち立てた。無限の図書館は、翻訳によって実現し、海外で生活していた鈴木大拙や南方熊楠に大きな影響を与えることになっただろう。この翻訳空間はフランスの詩人、アルチュール・ランボーの『美しき存在』にも見て取れる。彼は翻訳によって時空間のひらけた表現が可能になった近代を代表する詩人であった。翻訳は様々な人間が時代を超えて、言語を超えてネットワークを作り出すことができるようにした。
 また、アメリカのシカゴで行われたコロンビア万国博覧会に付随して開催された万国宗教会議は、その名のとおり万国の宗教を繋ぎ合わせた。そこに、日本からは仏教やキリスト教、さらには神智学の代表が使節団として行き、海外からは

「ヒンズー教やイスラーム、ジャイナ教、ゾロアスター教、道教、儒教、ユダヤ教、キリスト教という世界宗教の主要な代表たちが、実質はともかく名目上はこの一つの会場に勢揃いしたのである」

 安藤礼二『場所と産霊 近代日本思想史』、2010年、
講談社、pp138

日本の代表者として特筆すべきは、臨済宗の釈宗演、真言宗の土宜法龍、神智学の平井金三であった。彼らはのちに、日本の近代思想を形作っていく思想家たちに大きな影響を与え、世界の諸宗教の総合という思想を広げていく。宗演と法龍はアメリカの宗教哲学者であるポール・ケーラスに感銘を与え、のちの著作に影響を及ぼしている。そしてケーラスは宗教会議後に著した『仏陀の福音』を、日本の宗演に送り、その英語の著作の翻訳を任されたのが鈴木大拙であった。また、法龍は宗教会議の後にフランスへ向かうが、その途上で出会ったのが南方熊楠である。万国宗教会議を起点として、様々な道が開かれ、諸宗教が通じ合い、一つの総合が目指されていった。そして、平井金三の神智学はそうした総合的な宗教を目指すものであった。宗教会議での演説には神智学の本質がよく表現されている。世界と繋がりを持った鈴木大拙と南方熊楠はそれぞれに特有の概念である、「霊性」と「曼荼羅」を打ち立て、それらをもとに、西田幾多郎の哲学と折口信夫や柳田國男の民俗学が生まれてくる。世界は繋がりあってネットワークを作り、時代や場所を超えて様々な差異を持った思想同士が矛盾を併置することによって自然に組み合わされ、大きな体系を作り出した。このネットワークは有限であるが、そこには無限が内包されていた。

大東亜共栄圏

この近代に成立した宗教の合一という考えは、大川周明によって政治へと結び付けられ、社会の変革は信仰としての革命である、という大東亜共栄圏の母体となる思想が近代の終着点に据えられることとなったのだ。

「神智学的な世界宗教、「総合宗教」の地平。大川はそのような場所で、自らの「霊性」の革命を成し遂げようとしたのである。霊的革命は「私」と世界を同時に変革してしまうものである。そこに立ち現れるのは、あらゆる人々の内心から自由に発露する「霊性」によって形作られる、生と死を超えた永遠の秩序、友愛と平等に満ちた霊的な共和国である」

安藤礼二『場所と産霊 近代日本思想史』、2010年、
講談社、pp165

信仰と政治が密接に関係し合う「霊的な共和国」というヴィジョンはアジアに止まらず、世界全体へと敷衍できる論理である。世界は多種多様な政治形態や宗教や信仰を乗り越えて、矛盾や齟齬を解消するまでもなく、そのまま肯定できる世界が開けてくる。大川周明の目指したものは、決して日本の軍国主義を肯定する様なものでは無かった。それは、あらゆる宗教や信仰が生み出されてくる根源的な場、すべての人間の差異を含み持ったまま成立する様な一元的空間、一即多が実現する真なる政治、神的な世界なのだ。共通の信仰という私的所有がもたらす政治の場において、世界は初めて顕教的側面と密教的側面が統一され、誰もが自らの存在自体に確信を持てるようになる。
 そうすることによってこそ、我々地球人は、各自の文化や宗教や土地や性別といったあらゆる差異を超えて、一つの共通する信仰のもとに連帯をなし、地球全体の進むべき道を決定づけるための一つの政体を形成するに至るのである。

山谷の空


参考文献一覧
・佐藤和夫『〈政治〉のこれからとアーレント:分断を克服する「話し合い」の可能性』、花伝社、2022
・ 的射場敬一(2016)『ギリシアポリスの形成と市民』、国士舘大学政経学会、20巻、2号
・安藤礼二『場所と産霊 近代日本思想史』、講談社、2010
・安藤礼二『神々の闘争 折口信夫論』、講談社、2004


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