dear diary 20240327 ※ちょっと汚い話注意

つわりを英語でmorning sicknessというが、どうしてつわりって眠りから覚めた瞬間に吐き気が来るのだろう?

頭の中だけ時がゆっくり流れているようにそんなことを考えながらも、
現実は素早くビニール袋に頭をつっこみ、
嘔吐反射に抗う事をしないという判断に体が素直に従うようになったのは
3回の妊娠のうち、いちばん吐きづわりが酷かった2回目の時だった。

結局吐き気を我慢して引き摺るよりも、その瞬間はしんどいとしても、一思いに済ませてしまった方がトータルで考えたらラクなんだよね。
それを体で理解してからは嘔吐反射に反抗するという無駄な試みはやめた。


きっと理屈的には分娩だって同じだろうに、なんでわたし産むの止めますって抵抗しまくったのか?
今考えるとヘンだなぁと思うけれど、あれは体験している瞬間にしか分からない。仕方ない。
まず嘔吐反射と分娩を同じテーブルに並べるななんだけどさ。

そんな誰宛なのか分からない言い訳のようなことを思いながら、嘔吐反射を事務的に処理していた今朝。

数日食べていないから当然胃液しか出ないな。
大丈夫だな胆汁とか血まで行ってないから。
妊娠悪阻よりマシってレベルなので働ける。

そんな風に頭も事務的に処理して出勤したはずなのにわたしはMTG中、
なんで今日無理して仕事してるんだろう、一刻も早く定時になって欲しいと念じながら、
開発中の新管理システムについて投影されているスクリーンを、ちゃんと考えている体でボーっと眺めているのがやっとだった。
本当は現段階でケチつけたい部分があったのだけれど、意見を求められても、「まずはこれで走らせてみて改版しましょう」で終わらせてしまった。

新システムが遅れているから、いつまでもあーでもないこーでもない言ってないでまず進めようよ、という考えは本音でもあるから、そんなに悪い事を言ったわけではないかな。

そういうことにしておこうにも、悪い意味での程々な仕事しかできていないことは自分が一番良く分かる。
頑張りたくないわけじゃないが、全力で頑張るのはしんどい。
頑張れていないこともしんどい。
どっちに転んでもしんどいしかない。
わたしの頭っていつもわがまま。

退勤後、いつもどおり子どもたちのあんなことこんなことに気を立てながら夕飯を作って、
いつもどおりアレヤダコレキライ!好きな物はおかわり!の声を浴びるなどして、子どもたちが「母ちゃんおやすみなさい」と言ってリビングのドアを閉める頃には、実家からしばらく前に貰って忘れていた大根と見間違うくらいには心身しなしなに萎びてしまって、
皿洗いは明朝しよう、と心に決めるよりも早く、毛布でみのむしになっていた。

けれど眠いわけでは全く無くて、むしろ前日も全く眠気が来なくて困っていた。
録画は溜まっているけれど、呑気にテレビなんて見る気にもならない。
とはいえ入学と進級に必要な提出書類を書くのはもっとやりたくない。
去年書いたもののコピーをとってある有能()なわたし、
本気出せばすぐ終わるからまた今度でいいよね?って考えていたら
聖霊の導き(今はそういわないらしいけど、何というのか失念した)かのように、スマホが泣いて、わたしは書類を今書けない理由を与えられた!!

掛かってきた電話なのに、少し質問されたら決壊したダムみたいに喋りまくってしまった。
わたしのこのしんどさは自分にとっては事実だけど、
しんどいと言葉にする事、しんどいと感じる事すら間違いで、甘えで、お門違いな気がしていた。
自分から言い出す気は無かったのに、
それ、しんどくない?みたいに言われて、
え、外側から見てもこれってしんどそうって見える事なんだ????と驚いた。
もう、自分のしんどいの指標が全くアテにならない。感情も感覚も。
誰かに止めて貰わないと止まれない。

電話を終えた後、少し軽くなった頭で
どうしてこんなことになったんだろうなと過去のログを開いてはじめから追ってみた。
だけど、どうしてなのかは分からなかったし、
こんな風になるなんて少しも想像していなかった時の、
あの時は宝石のようにも思えた天衣無縫な言葉たちに、弱った今の自分はぐさぐさと刺されているみたいに、胸がぎゅってなって悲しいだけだった。
ふしぎと、怒りは湧いてこなかった。

生きていれば、自分にはどうにもできない事象に度々出会う。
人に死なれたくないとか時間を巻き戻したいとか。
仕方ないことなのに、無理過ぎて駄々っ子みたいに絶対イヤだ誰かどうにかして!と泣いて暴れたくなる。
みんな、どうやって生きているんだろう。
悪気もなく、すごいね偉いねって言葉を投げてしまいがちな落ち着いて見えるひとだって、何もなく生きてきたわけじゃないはずなのにね。
泣いて騒いでる暇があるだけまだ余裕、そういうことなのかな。

リリースされたばかりの岡崎体育のEPで、ツアーの横浜で披露されたという、
「宇宙と長野」が音源化されて、
ファンは軒並み大笑いしているところ、
こんなの全部嫌になったらハルマゲドン召喚したくなる自分でしかなくて、わたしにとっては浸れて刺さって泣きそうになる曲だった。

人のせいにする子どもみたいな幼稚なタラレバ。
それを妙にいい声といいメロでありつつ絶対笑うだろって要素も入れて、
オレは愚かな世の中に言ったるぜ!って直接物申す感じじゃなく、考える余地はリスナーに残しておくような、
甘辛い風刺っぽくするの、これが岡亮聡くんですって感じでホントすき。
感情のピクセルとかもそれ系だよね。
おちゃらけてるだけ、きれいな声なだけじゃないんだよ。。

宇宙と長野の音源化、いったんソニーの人にボツられたらしいけど、ソニーの人センスないのでは😅

サブマリンも配信は今回からされたのだな?


“今夜きっと誰かが誰かのサンシャイン”

今夜のわたしのサンシャインはあの人だったな。って感謝しながら

“ずっとずっと音楽と一緒にサブマリン”

していくしかない静かな夜更け。

(めも。宇宙と長野の編曲はファーストテイクのエクレアのときのギターの方なんですって)

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