dear diary 20240416

noteって、使いにくいなーと思いながら、ちまちま下書きが溜まっていく。

使いにくいのはあたりまえか、勝手に用量用法外の使用法をしている自分が悪い。
noteほど長く、物事を順序だてて書きたいわけでもなく、でもTwitterに書くには長すぎる。

なうのミーの瞬間的なフィーリングをフレッシュで味付けなく置いておきたいなら、やっぱりTwitterの方が適している。
noteは下書きにしたらそこが第一版だけど、書き終わるころにはver.XXになっていて、わたしには結果じゃなく、ファーストインプレッション、結論に至るまでの変遷、考えに影響を与えた事象なんかが重要なのになぁ、
そこが透明化されてしまうのがnote。
noteに書くなら、一気に最後まで書いちゃうべきだな、
だから今もそうしようとしている、午前3時過ぎの誰にも邪魔されないこの時間ならいけそう。

本来の使い方から外れているんだからしょうがないけど、他にいいツールないかなぁと思いながらも、データ移管も面倒だよな。。


どうしてそこまで文字化したいのか。


え、だって、わたし、幼少期からずっと、公演で聞いたことをメモ取って、
個人研究でノートに書いて、割り当てのシナリオを書いて、集会の予習で注解することや脚注的なことをメモに書いて、会衆のおねえさんとお手紙交換をして、
そうやって生きて来たんだよ?むしろ文字化しない選択肢なんてある???

そういえば、割り当てはルーズリーフ1枚を埋めると、ちょうど制限時間に過不足ない感じにまとまるんだったよなぁ、という、いまとなっては何の役にも立たないライフハック?割り当てハック?を思い出すなど。

というつまらんおふざけはここまでにして。

常にわたしのあたまのなかには、膨大ななにかが溢れている。
脳が多動ってことなんだと思っている。

積み上げあっていく記憶と理解が改まる記憶。
視覚聴覚から常に入ってくる情報、
それに基づく客観的事実と、自分のふんわりとした感想と、ぼやっとした認識。
多少の分かるかもしれないことと、深い森のような分からないものたち。
わたしの正しいと、誰かにとっての正しい。
やさしさと正しさ。

それらは全部、繋がっていて、それぞれ別の引き出しにしまっているわけじゃなく、同じテーブルの上に同時に並んでいたり、もしくは重なって埋もれていたり、テーブルから床に転げ落ちていて捜索中、なんてこともある。
よく分からないけどふわふわ浮いてるものも結構たくさん居るのが見える。

ここまでがぼんやりしている中ではあるが、認知できるもの。

そして厄介かもしれない、勘。
勘というものは、いちいち根拠を思い出すまでもないくらい瞬時に
過去の経験や知識に基づいて導き出した予測のようなものに近いのであって
スピリチュアルなにかではない人の方が圧倒的であろうと思う。

すくなくともわたしは、スピリチュアルな報せを受け取った事はないかな。
経験や知識も少ない部類の人間ではあるものの、
常に考えているせいか(特にネガの方向)勘が仕事してくれることはそれなりにある。
あるのだけど、わたしはそれを見なかったことにすることが多いかもしれない。
そうじゃなきゃいいなぁっていう時もあるし、
一番は勘といいつつ先入観で決めつけたくない、相手の口から聞きたいし言いたくないなら無理に聞き出したくもない、言いたきゃ聞かれなくても自ら言及するだろう、というスタンスだから。



逸れたけど、
まぁ、、頭の中が、先に書いたようなゴミ屋敷状態なわけだから、
根拠に基づいてこうだ!と簡単に言葉で説明できるわけじゃない。
なんで?と聞かれたら、勘です。感覚です。ってことになってしまうのかな。

これって、相手に「わたし」が伝わらないのが悲しいんじゃないんだよ。
自分が発した言葉や考えでそうさせてしまったら、ごめんないではあるけど仕方のない事。それはまぁいい。

わたしから発したものではないなにかを、相手が受け取って、
それで悲しんだり傷ついたり腹を立てることがとてもいや。

誤解されるなんて日常的に誰でも起こっている事、それも理解している。
それでも誤解されて悔しいんじゃなくて、ただただできるだけ正確に届けたいという願望は強いし、
中途半端にしか伝わらない、それで傷つけるならば、最初から言葉を届けない方がいいかもしれない、必ずしも理解しあわなくてもいいんだし。
だって、理解できなくても認める事はできるはずなんだから。

理解し合おうとは思わないとか、わかってもらおうと思っていないというと
相手を突っぱねているとか人の意見を聞かないとか、そういう方向に捉えるのが普通だろうが、
わたしのなかでのそれは、意外と前向きな理由からの前向きな選択というか
相手を尊重したいし、なぁなぁではなくきちんと通じ合いたいからこそ、なんだよな。
だから、正しく理解したい、届けたいきもちと相手なら、とことん何時間でも何日間でもしつこくやり合える、しつこすぎてうんざりされるけど。

簡潔にいかないのはディープにやりあいたいだけじゃなく、
はじめに書いたように、わたしの頭の中というものが
膨大ななにかが溢れていて、ごちゃごちゃのテーブルなせいもある。

話ながら、いちばん伝えたい事にフィットする表現を探しているけれど
それはわたしにとってすごく難しい。

おそらく作文を書くときに「とても悲しかったです」みたいなのを多用する種類の人にはなかなか伝わらないと思う、
だってよ?わたし的には「悲しいって200種類あんねん!」ですよ。

悲しいの色がどれなのかって、わたしにとっては大きい事で、
それを端折って伝えるなんてことは、何も言わない方がマシくらいの感覚。
だけど悲しいの色のニュアンスを会話で伝えるのって難しくて。
もちろん、文字だって完全には伝わらない。
けど会話ってそれ以上に伝わらないことが多いように思える。
雰囲気すら伝わらない。
だって多くの人は「ふいんき」を受け取って満足しているじゃない?
だから文字で補足したくなってしまう。


落ち込み期に入ると、どう具合が悪いのか聞かれる。
蕁麻疹とか視覚的にも感覚的にも分かりやすいものはいいが、
独特の倦怠感、起きるのが辛いとかのレベルじゃなくて、
誰かに乗っかられているように起き上がる事が不可能な感覚とか、
お風呂に行くのが難しくなってしまう精神構造とか、
ただ眠いんじゃなくて、突然ブラックアウトする感覚(それを私は気絶と呼ぶ)とか、
そういうことが、まぁ伝わらない。

体験していないことを理解できないのは当たり前だからそこに怒りはないけど、伝わらない又は誤解のせいで相手が苛立つとか、
余計な心配やトンデモ解決プランを練られたりすると、そうじゃないんだよなというもどかしさが苦しい。

なんでそんなに落ち込んでいるのかって?
何かきっかけになることがある場合もあるにはあるが、
それって健康な人も含めて誰でもそうでしょう?

そういうことじゃないんだよなぁ。
トリガーがないのに何かに撃たれる、
平坦な道で転ぶ。
立ち上がれない。
原因なんてないから対策もないんだもん。

でもさ、そういうことでしょ?病気って。
もうセンサーぶっ壊れてるんだよ。
だから何かきっかけがあってもなくても、落ちる時は落ちるし、
突然動悸がしたり、無自覚で涙が出ているのに子どもが気付いて拭ってくれたりする。
お前そんなシビアな人生送ってないだろって人には言われても
このおんぼろでポンコツなCPUが載ってるわたしは実質、シビアコンディションで走ってる。

たとえば、
ずんだ味の豆乳飲料のリリース記事を見つけたのは1月後半だったかな、
その時は発売日の2月後半をすごく楽しみにしていた。
でもその日が来るのが怖いに変わって、
楽しみにしていたからと一応買ったけど、一本飲んだっきり。
あとは冷蔵庫のなかで眠っている。
やっぱり悲しい味と、胸がぎゅっとなる匂いとして刻み込まれてしまったから。

これは例えば、だけどね。
こんなことを、ずっとわたしは捨てられず頭の中に飼っているし、どんどん溜めていく。
それが発生したときは、それが悲しみの理由であったということで間違いないだろう。
しかし飼っているそれが、全く関係なく、自分でも予想できないときに、
さらに言えば自覚なく目を覚ましたりする。

根拠はあるようで、ないような。
でもさ、そういうことでしょう?人生って。()
すべてはシームレスだから。
今悲しいも、変えられない過去も、動かせない運命も、
全部が関係無いようで、でもどこかで必ずつながって、勝手に関作しちゃってる。

会話のとき、この頭の中の世界をどんな言葉で、どんな声色で表現すれば
相手の頭の中のスクリーンにわたしと同じ情景が投影されるのかな。

人の頭のなかを覗くことなんて無理と知ったうえで、
どこまでもチャレンジしていく?
知りたいと願うこと、知る事、って自分の感情を満たすため?相手を尊重したいが故?
その先に何がある?…とか書きながら、
頭の中で遠い日の歌が流れている。
混声三部合唱のやつ。
ひとはただーかぜのなかをー
まよいながらーあるきつづけるー、のあれ。

遠い日の歌すきなんだよな、あたし。
(っていうかカノンは日本人みんな好きなんだっけか)

迷って呼びかけ、祈ってめぐり合い、
最後三番は、燃える思い抱きしめて、
その胸に満ちあふれてときめかしているらしい。

あたしも人生の三番に入る頃には、ぼやーっとしているから満ちあふれるに変わるんでしょうか。
それはわからないけど、そうじゃないとしてもこの生き方は変えられないのだろうなぁと思っている。
大人になってやってきた反抗期と先天性中二病とを、共に生きて共に死ぬのよ。


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