dear diary 20240630

6月が終わる。

この1年、今までに経験したことのないほどの体調や心境の変化があって、
自分の身に起きていることなのに何故か何かに巻き込まれているような、
何が起こっているのか理解が追いつかないような、
ジェットコースターのような心身をどう制御したらよいのか、又はしないほうがいいのかもわからない、
おいてけぼりのような気持ちでいることが多かったのかな。

未だに置かれている状況がよくわかっていないのかもしれない。
そしてそのことにひどく疲れているみたい。

6月は、起き上がることが難しい日、時間を埋めるための音楽もスマホも何もかも無理という日が多かったこともあって、考えたり振り返る時間が多かった。

自分がどんな選択をしてきたか、どんな理由で、どんな気持ちで、そしてどういう結果を得て、それが今のこの状況とどう結びついているか、とか。

自分の考えや気付きの変遷も振り返った。
Twitterのアカウント、消しちゃったから全部は読み返せないのだけど、
ちまちまコピペしてnoteに保存しておいた分を読み返してみたり。
本当にちょっぴりしか保存してなかったなぁ。

結局のところ、わたしはわがままなんだよね。
あれもこれも、諦めたくない捨てたくない大事に抱え込みたい譲れない。
そういうものが多すぎる。
答えのないことを、どうしてなんでといつまでも追いかけたがる。

このまえも、あなたの願いを全部叶えることは無理だよ、って諌められた。
デモデモダッテヤダヤダは、子どものうちで終わらせなきゃいけないんだって。
大人は、この世界で生きるには、どこかで折り合いをつけたり諦めたりしなきゃいけないんだって。

それが、自分の持つ能力の限界、身のほどを知るということ?

わたしは自分の無力さ無価値さを知ったうえで、嫌なものは嫌、なんだよなぁ。
わたしが悪いのか世界の仕組みが悪いのか、どっちもおかしいのかはしらんけど、
わたしはどうしたってこの世界とは仲良くできないと思う。


そんな中でも6/1に、すこしは生活を立て直さなきゃ、やれることはやらなきゃって思って、
毎日できたことに◯つける記録を書き始めるっていうこともしてみたんだよ。

シャワー、食器洗い、夕飯作り、洗濯、
就寝前の3点セットの麦茶作りと炊飯器セットと子どもの水筒洗い。

表を作って、できたのに◯
できなくても☓はしないで空欄。
☓だらけになると悲しくなるから、減点法じゃなく加点方式で。

って思ったけど、まぁ空白が多くてそれはそれで結局がっかりしている自分。
焼け石に水だったか。

洗濯と麦茶作りと炊飯器はほぼ毎日◯で
体調の限界で水筒洗いがときどき朝に持ち越し、
シャワーは最長で1週間無理な週があり、
夕飯は殆ど作れていない、という6月。
谷底が見えなかったいくつかの日は薬の力も借りて、やっとこれ。
ボロボロ、何もかも。
墓場まで持っていかなきゃいけないことも1つ増えてしまって。

鬱がひどいときより躁のときのほうが自殺完遂しがちっていう意味も理解できた。
そもそも鬱がひどいと何もできないし、
躁というのは陽気というわけじゃなくて、攻撃性として現れるし、
全能感とまではいかないにしてもエネルギーがある感じがしていろいろやれてしまうというところ。


後悔は絶えないけれど、それでもこの1ヶ月を、よくやったねよく耐えたねと、今日くらいは言ってもいいでしょうか。
さよなら6月。
おつかれさま6月。

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