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難しい「自由」@フリースクール

フリースクール和草では、子どもたちは「自由」に過ごしています
ここしばらくの和草の室内遊びを見ると、男子はテレビゲーム没頭派とプラレール没頭派に分かれ、女子はいろいろに時間を過ごしているように見えます

個人的な経験でいうなら、小学生のときにテレビゲームに大ハマりしたので、ゲームに没頭する気持ちは分かり過ぎます(笑)
現実世界の選択肢の狭さに比べて、ゲームという枠組みさえ認めれば、その中では無限に近い選択肢があることに感動した覚えもあり
・・・そう思いつつもゲームだけってのは、何か残念だなーという気持ちもあります

* * *

とコメントしている私は今、高知県は佐川町のファブラボで働いており、小学生向けの工作教室の運営スタッフでもあります
そこでは、3Dプリンタや木材加工機などを町内の子どもは「無料」で使えて、「工作好きな子どもにとっては夢のような場所!」なはずなんですが、自分の好きなものを自由に作りにくる子はいません
逆にというか、「スタッフ側が作るテーマを与えて面倒をみる工作教室」はやたら人気でキャンセル待ちが毎年何十人も出るほどです

その現状も残念だなぁと思っているのですが、それは子どもたちが
・学校、ゲーム、社会が「与える仕組みとして洗練され過ぎ」てそれに慣れている
・周りに「自由をちゃんと使えてる大人が少ない」からそれを知らない
ということなんだろうなと思います

かくいう自分も「好きなものを作っていい」という珍しい職場で働き始めたのに、「自分の無意識のリミッターが外れた」と感じるまでに半年くらい時間がかかったのでした
・・・というか最初から「自由」に作ってたつもりだったのに、「なにか無意識に自分に自由を制限していた」ことに、あとから気づいた次第
たぶんこれは何度も気づくことだろうなぁと

* * *

そう考えると、とくにテレビゲーム没頭派は「自分の自由を無意識に制限しているんじゃないか?」と思えてきました
もしそうだとすると、「もっと自由にしていいよ」ってアドバイスとか、「新たな選択肢を用意してあげる」は違うんじゃないかと

そうでなくて、「大人の自分が自由に振る舞う」、つまりは
・「意識的に、自由を抑えてる気持ちを外す」
・「無意識のリミッター(外れた後にわかる)も外す」
生きる姿を見せるしかないんじゃないかと

そんなことを心に留めて、また月一で和草にお邪魔したいと思っています
旅人ボランティアの大村でした


#和草
#フリースクール
#生駒

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